尾見怜:五〇九号分室

小説・映画・音楽の感想

小説を読む理由探してる人、ここにあるよ! ストイックなほどに下世話、登場人物みんなクズ  阿部和重:シンセミア

小説を読む読まないでいったら、自分は読む方だと思います。
ただ小説を読まない人の気持ちもわかります。面白くないものにたまたまあたってしまって、そのまま食指が伸びない。
読みたいんだけどね…みたいなこと言ってる人多い。そんな人に勧めるのが阿部和重の傑作「シンセミア」です。

コスパだのタイパだの言ってる人はおいといて、小説を読むことははっきり言って意味ないっすよ。文体合わないことも多いし、楽しくない時もけっこうあります。
別に面白くも役にも立たない行為をなんでやるのか。それは人生をそのものに意味が無いので、どうだっていいと考えている人は結構いるからです。えてして本が好き。

ちなみに面白さでいったらトップクラスに面白い小説だと思います。
私見ですが、現代日本で仕事をしているとビジネス合理主義人間になってしまいがちなので、私はバランスをとるために小説を読みます。こういう意味ならありそう。
ですがめずらしく読んでいる期間、この小説側にバランスが傾いてしまい、逆に仕事がおろそかになりました。自分に合う小説というのはこういう現象が起きます。

面白さのベクトルでいうとですね、週刊誌とかゴシップがもつ淫靡な面白さです。ネットで連合赤軍とか津山三十人殺しを検索するときの暗い悦びっすね。

いい小説の登場人物と言うのはけっこう高尚な悩みを抱えがちです(悪童日記は除く)。優秀な人間ばかり出てくると嫌になりますよね。だからなろう小説が流行ってしまうのよ。
安心してください。この小説は我々より低俗な人間しか出ないよ。セルフエスティーム欠乏症の対症療法としてもってこい。

ヤク中とヤクザと変態ばっかなんですよこの小説。頭のいい人間も出てこない。つまりですね、乱暴にジャンルでわけてしまえばこの小説は和製パルプ・ノワールなんです。
探偵小説のような腹立つナルシズムもなく、ただただクズたちがそれぞれの下卑た欲望のために踊り狂うという私が一番好きなものです。
それをエンタメに極振りするとウシジマくんみたいなことになるので、文学的な調整がなされているのも特徴。
アメリカだの天皇の隠喩だのいろいろと考える余地があるんだけども、そういう仕掛とかは考えるの好きな頭のいい人に任せて(消費主義)、この稀有な小説を楽しみましょう。
それにしてもキャラクター。人として下の下ですよみんな。暴力お薬をやることに葛藤がありません! みな道徳の授業寝てたんか(©金属バット友保氏)。
でもみんながみんなそれぞれの欲望に対してまっすぐなんですね。吉良吉影のように、最低な人間だけど自分の目的のために頑張る。

ただほとんどみんな死ぬので、これは自分の欲望に忠実に生きたら社会に殺されるよってことでもあります。
というか、読んでるうちに早く死なねーかなこいつらって感情が芽生える。その気持ちが大事です。「正義」という仰々しい言葉ではなく、「不正」に対するカウンターの気持ちというか。
アクティブなロリコンが当たり前のように出てくるで有名な阿部和重の小説ですが、この小説もロリコンが主人公格で出てきます。
そのロリコン(警官!)視点の章が一番表現が最悪な下ネタに振っているというか、映像化不可能なものばかりでこの物語が小説でなければならなかった理由がわかります。
要は性欲が行動の指針であって、全男性は言ってしまえばそうなんだけど、こいつにくらべれば皆遠回りである。こいつだけダイレクトにロリに行くので逆にすがすがしい。
AVでも無理な描写、所持したら捕まりそうな映像でも小説ならば大丈夫ですたぶん。

意味わかんないくらい俗悪ですが、こういう本があることに多様性とか面白みを感じます。世界は死ぬほど理不尽で滑稽なので、こういう本で遊んで見るのも一興、ってかんじでしょうか。

 

 

リーマン殺すにゃ刀はいらぬ、深夜特急読ましゃいい 自由への招待に君は抗えるか 沢木耕太郎:深夜特急

小説や映画や演劇など、「物語」の用途の一つとして、「非日常を提供する」がある。非日常への欲求っていうのは切実で、無いと結構やばいかもしんない、とは思う。
自分としては社会と関わるといろいろと減る。体力気力メンタル。

 

異世界で満たされぬ欲求を疑似的に果たそう、というのは、普段ミソッカスな自分を英雄物語読んで慰めたり。
恋愛市場の遡上にも乗れぬ人生を這いずる者たちがラブコメで溜飲を下げたり。

自由でうらやましい。さわやかだ。こんな旅がしたい。やってみたい、やってみたい!
この本を初めて読んだ当時の率直な感想です。少なくとも、今のサラリーマン稼業からはよっぽどマシに感じた。
事実私は嫌気がさしていた会社を辞めて沢木耕太郎をかなり真似た、香港からロンドンまでの長期間の貧乏一人旅を敢行しました。2016年当時29歳の時で、三十路前って人は仕事を辞めたがる気がする。

 

求めているのは決して海外旅行ではない。

旅なんだ。

スナフキン的なカッコよさだ。

誰にも縛られない(無理)自由だ。

日々の辛い労働に対する憂さ晴らしなんて認めたくない(ほんとはそう)。
自由と冒険なんだ…絶対そうなんだ…

私は「長期の貧乏一人旅」が好きで「短期の豪華な海外旅行」が嫌いです。
私にとっての「レジャー」や「気晴らし」というのは人と関わらないことが前提であって、旅行やリゾートに行くにしても基本ほっといてもらいたいのである。
隣にいる人とたまたま会話する程度がベスト。
サラリーマンやカップルがちょっとした刺激のために金を海外に落としに行くって行為が合わない。そもそも贅沢したいなら東京の方が質が高いと思うし。
そんなやつらとは時間と金の使い方が何もかもが合わない。根っからの貧乏性なのである。
その点の気持ち悪さはミシェル・ウエルベックの「プラットフォーム」を読もう。日本人は成金趣味がマジョリティーで気味が悪い。
安心安全な旅行じゃ満たされない欲求があるのだ。大長編ドラえもんだって、ドラえもんが四次元ポケットを失くすと途端に面白くなるじゃないか。
ゲームのRPGだって金がたんまりあるよりカツカツのプレーの方が好き。
好みの問題であるが、時間や金に対する価値観の問題は人生全般につきまとう。

「旅」には目的があってもいいが、無いほうが良い。

お金と最低限の設備にキリキリしながらホテルを探す。深夜着の列車の方が安いから13時間待つ。物乞いとの付き合い方を考える。ヴェネツィアで味噌汁が死ぬほど飲みたくなり日本料理屋を探す。そのあとなぜかカフェでピアノを弾く。パリで差別される。トルコで格安の宿と安くておいしいパン屋を見つけ、だらだら1週間滞在してしまう。高級ホテルのラウンジでwifiを拾うために入ったのに、なぜかちょい高いケーキを頼んでしまう。イスタンブールの空港から深夜追い出される。ウィーンの風俗で性欲に負ける。飛行機の時間を12時間間違えて、しかたなく時間つぶすために入ったカジノでおかしくなり6万負ける。ウィーンでクラシックコンサートの当日券を手に入れるためにダフ屋との長時間交渉をする。ネパールのカトマンズでカツ丼が食える幻の店を探す。バンコクのだらけた雰囲気に影響されて一日中寝る。ドバイで腹を壊してまた一日中苦しみぬく。ブルガリアでサンダルはさすがに寒いので激安のスニーカーを買う(いまだに気に入って履いてる)。

とにかく最高の経験だった。元をただせば、この私のおそまつな冒険も、電波少年ヒッチハイクも、深夜特急という異常な魔力を帯びた小説が元である。
たくさんの人間の人生を変えまくっている。

ただ、グローバル化、IT革命の前の話である。IP-SECのプロトコルが地球を覆う前の話で、情報の濁流に飲まれる前の世界だ。沢木耕太郎ローカリズムの濃厚さに噎せかえってしまうような各国の冒険は、もはや不可能なのだ。
異国への純粋な好奇心、五体で獲得する未経験の数々は大半がネットの疑似体験で満足してしまう。

またなかばヤケクソな雰囲気、気分だけで適当に生きている感じがいい。

要は人生を軽く捨てている感覚が心地よいのである。もっと気軽に、みんな人生を捨てよう!責任から逃げよう!一日寝てても罪悪感を覚えない無産者になろう!

そうアジられているような気分になれます。

YMOの3人があえて電子的に音楽のグルーヴをあえてなくしてみて、やっぱりちょっとしたリズムのずれこそ音楽の魅力だと気づいたように、
身体性を取り返すということこそ個人的なテーマだったりする。運動不足のネットブロガーの身で何を言っているんだと話だけど、
身体性とローカリズムがぜいたく品になって手が届かなくしまった感がある。

とにかく今こそ読むべき魅力に満ち溢れた小説である。若いうちに読めてよかった、と心から思う。

 

 

近代文学の金字塔で我が邦の宝 読める幸せをかみしめまくり 川端康成:雪国

こういう小説が書ければもう満足でしょう。私も何億歩も後ろにいますが、先にこういうものがあると思って歩いてます。

SF小説などを読んでいるとダイレクトな表現とあきさせないテンポに慣れてなんとなく読めなくなってくるよね。
自分でもバランスが崩れている、とかんじます。エンタメの合理的な構造に慣れすぎてしまうのである。修正が難しかったりする。
いわゆるカチカチのエンタメ脳になるわけですね。

こんな時は日本語表現の一番てっぺんに触れて、頭をぶん殴られるのが早い。
ああそうだった、こんなことばたちが好きだったんだ、ありがとう、ありがとう、というきもちね。
様々な種類のレトリックに触れてきたけども、私の場合、結局一番あこがれるし琴線に触れるのは日本の近代文学なのである。
女性の胸のことを「ありがたい膨らみ」という表現ね…
ド助平だよね…でもいい表現だよね…ありがたいよね…

再読して気づいたのは、数ある川端エピソードの中でも人気のある、「家に来た若い女性編集者を無言で見つめ続け、最終的に泣かす」という変態プレイチックなそれである。
正直やってみたい。天才は奇行が許されてうらやましい。
それに対応しているのが、本作における女性のしぐさ描写。そんだけ見つめてようやっと言語野につながるんやね。
『その節目は濃い睫毛のせいか、ほうっと温かくなまめくと島村が眺めているうちに、女の顔はほんの少し左右に揺れて、また薄赤らんだ。』

うっひょ~~~かっこええ!時間が止まるうつくしい描写やで。こんなんたまらんわ。たまらんですわ。
「時よ止まれ、君は美しい」って誰かゲーテ的な誰かが言ってたような気がするけど川端も止めてます。止めてますよ!

男が女性をみるという行為。
それに表現を掻き立てるすべてがある。
何百万年くりかえしてきた営為の奥底にはぽっと出の文化ではとらえきれないなにかがある。

ラストシーンは満点の星空に天の川が渡り、雪で白く染まった温泉街の一角で火事が起きる。
舞い上がる火の粉は星空に溶けていく。

インスタ映えとかエモいとかいろいろ言いようあるけど美しすぎやしません? もちろん上記は私の稚拙な情景描写なので、
このブログで読むのはもったいないです。気になる人はすぐ読みたまえ。最高なんだから。描写が。

ラストのセリフは「あの子気が違っているわ」なので実写化はもうできない。これを省くのは違うし。

 

 

 

名作文学をコメディとして読む勇気と松本人志との接続について フランツ・カフカ:変身

 

チェコの天才作家フランツ・カフカで一番有名な作品「変身」。私もカフカで一番好きな作品です。
調子乗って初めて読んだのは中学生のころ。

新潮文庫夏の100冊には感謝してもしつくせない。

ほんとにあのころ読んどいてよかった。
その時はカフカ「変身」カミュ「異邦人」で、「カ」で始まる不条理文学の人二人、みたいなイメージを持ってた。ていうかおっさんになった今も変わってない。
どっちもいまだに大好きなのだが、先に読んだ「変身」。

なんか面白かった覚えがある。

 

カフカは乱暴に言ってしまえば世界的文豪で、寓話的な作風から深読みの対象になる。

ちょっと待って。カフカは「変身」をコメディだって言ってるらしいじゃん。ここは一発文学なんてわからんアホになりまして、
松本人志の「トカゲのおっさん」みたいな、悲しすぎて笑えるって類のシンプルな面白話としてこの中編を読むのもアリなんじゃない?

そりゃひきこもりとかシュールレアリスム文脈とかいくらでもあてはめられるよ。
でも俺がおもしろい、と感じたのは、虫になった主人公の死因が、「父親にリンゴをぶつけられてその傷が徐々に膿んでいってくたばる」というグロい部分。
悲惨すぎて面白くないですか? 愛していた家族に冷遇される主人公、悲惨面白くない?

カフカはこれ読んでシンプルに大笑いしてほしかったんじゃ? と仮定してみる。
父親にずっとビクビクしている自分の自虐ネタにもとれるし、部屋から出たくないみたいな共感の笑いもある。

虫に変身したのはいわゆるつかみで、家族に臭いものにはふた的な扱いを受け、虫だから生ゴミをうまいと感じてしまい自分が情けなくなるとこなんかマジで笑える。
カフカが「表紙を虫にするな」と言ったのもうなずける。大事なつかみだ。読者なりの気持ち悪い甲虫を想像してもらった方がいいし。いいっていうのは笑えるかってこと。

そもそもカフカは残ってる友人への手紙から読み取れる通り自虐ネタの王である。

ネガティブ芸の頂点で芸風は宮下草薙と一緒である。
根本にあるのはシュールな笑いで、今キングオブコントとかに出しても通用するだろう設定だ。(とがりすぎてて男にしか受けないけど)
そういや短編の断食芸人なんてオチは落語だ。断食芸人が腹減って死ぬ間際に、「自分にあった食事をみつけられなかった」っていうのは、正直笑かそうとしてるとしか思えない。
「城」もダラダラ長くて結局城にたどり着かず未完になるところ自体がギャグに感じる。「長くてしつこい」ことが強烈な面白さにつながるランジャタイ的な。
その方向の笑いの回路が開いて無い人だと一切面白く感じないのだが。

要は「変身」は一発の大爆笑を狙ったものなのでは? なんて思うわけです。
(マジでカフカを研究していて理解している人、ごめんなさい)

だって朗読会でカフカは爆笑しながらこれを朗読したっていうらしいじゃん。

スベったらしいけどさ。

 

おとなしくてめったにしゃべらないやつなんだけど、内心で高度な笑いとサービス精神を秘めている。隙あらば繰り出そうとタイミングを狙っている。そういう人が一番面白い。
ほんとにセンスのある人は孤独になる。カフカは間違いなく、周囲から浮いてしまうほどの感性の持ち主だった。その分ちょっとでも理解されたら死ぬほどうれしいはず。


自分の作ったものを「なにこれwww」って笑って欲しい気持ち。

作品を介してちょっとしたコミュニケーションが発生するその瞬間、そのうれしさ。

センス無い俺にも若干わかるぞ。カフカ。わかるよ。わかるよー!

 

 

 

非モテ男子はどこの国でも辛いんだよ  ミシェル・ウエルベック:闘争領域の拡大

フランスの現役作家ナンバーワン、ミシェル・ウエルベックさんの処女作でございます。
その名も「闘争領域の拡大」。題名が堅い!読む気が起きない!
カッチカチやぞ!
とはいえ内容は意外にポップ。モテない成人男性の日常って感じ。章分けが細かくて最後にオチがあるんだかないんだかわからんが読みやすい。
基本良いことがまったく起きないので、楽しい話では無い。笑えるとこは結構ある。"
こういうの読んじゃうとさー、非モテってどうしたらいいんだろって思うよね。
一回もモテたことない人って居るわけじゃん。異性に対する承認欲求って絶対人間にはあるわけで。
その解消ってあきらめきれるものなんだろうか?(あきらめきれません)
モテたことが一度でもあるだけで救われる命もあるはずだよね。
そこでキャバクラとかホストとかの存在意義があるんじゃないか。どんなに依存性があろうと、どんなに害悪だろうと。
青年期にモテるかモテないかって言ってしまえば命に係わるんだよね。頭がいい悪い並みに大事。
まあこの本は言ってしまえば、資本主義に伴う経済の自由化は、恋愛市場の自由化ももたらした。それによって、経済による闘争領域が、性的なところにも拡大したよね、ってことです。
あんまりモテない主人公とさらにモテない同僚ティスランの二人の奮闘記なわけです。
ティスランは非モテ中の非モテ。我々みたいにズレたおしゃれをする。盛り場に行く。当然うまくいかず傷つく。そのループ。
ループの果てに、ひどい学習性無気力へと陥る。仕事でもなんでも、可能性があるから頑張る。
でも不細工な男というのは、可能性のかけらも感じられないのがデフォルトなのだ。

傷つくとか頑張るというのは生きることと同義だ。それを拒否することで生きる手ごたえがなくなっていく。
痛がりな我々は痛みを受けるたびにメンタルやられる。
恋愛が取引となる、という問題もある。要は、大人になると各種条件が増えていって、恋愛の狂気がなくなり、単純な金と体と契約の関係になるということだ。
絶望的なナンパ失敗を終えての二人。
ティスラン「もう駄目だと思うかい?」
主人公「そうだとも。ずっと前から駄目なんだ。最初から駄目なんだよ。」

そんなこと言ってもいい。
モテない男はいくらでも愚痴る権利がある。
やけになって死ぬのと殺すのだけやめような! いつの時代も一定数いるけど!

 

 


非モテ男女は日々傷つく。傷つき続け、消耗する。つらい。

ジェンダーだの社会学だの面倒くさいことはほかのはてな民に任せておいて、俺たちはこの「モテない」という現実を味わいつくそうじゃないか。
痛みを受け入れよう。少なくともこの痛みだけは我々のものだ。
痛みのない人生なんて嘘だ。


そうだ。ソープいこう。

 

 

闘争領域の拡大 (河出文庫)

闘争領域の拡大 (河出文庫)

 

 

世界一のベストセラー作家が別名で書いた最高傑作 アガサ・クリスティ:春にして君を離れ

美しいタイトルですよね。シェイクスピアの引用だってさ。
聖書の次に読まれているのがシェイクスピアで、次がアガサクリスティらしいですよ。ほんまかいな。
でも2位と3位のコラボって。悟空とピッコロが組むラディッツ戦みたいな感じで素敵。

ですが内容は全然美しくありません。とある中年女性が旅先で自分と向き合い、信頼していた足場が崩れ落ちるような不安に駆られる、という極めてミニマルなストーリーです。
よくよく考えたら自分は家族から愛されていないんじゃないか? という疑問に、各種エピソードを回想しながらじわじわと確信に至る…
丁寧なサイコサスペンスといっていいでしょう。

いうなれば、何から何まで都合の良いことが起きるハーレクイン的な世界観の真逆で、今までうまくいってたと思ってたのは自分勝手な思い込みだったのでは…という話。

こんな構造の小説は初めて読みました。しかもクリスティ。尖ってるな…
メアリ・ウェストマコットという別名義で書かれた作品群の一つです。人が死ぬ作品ばっかり書いたクリスティですが、私は人を殺さなくてもこんだけ読ませるなんてエグイぞクリスティ、と嘆息しました。
アガサ・クリスティーといえば、外連味あふれるトリック、灰色の脳細胞を持つノーブルな探偵の魅力、独特なシチュエーションなどが魅力としてあげられますが、
この作品はミステリではなく心理小説です。頭のいかれた人、病んだ人もでてこない。一般人の日常の範疇で恐ろしいサスペンスが進行する。
それが最高傑作たるゆえんであり、正直これに似たものをいくつかマンガなり小説なりで読んだことあったとしても、これはなかなか越えられない。
いわゆる流行りのイヤミスなんて本作には全く及ばないですね。家庭を持っている中年女性はこの本を読んだらホラー映画どころじゃない恐怖を覚えるでしょう。

最後の一文でズバッと決めるのもさすが。ベストセラー作家ってすごいなぁ。

ちなみにコロナで入院中に読みました。落ち込みきってた精神を本物の文学に触れることでちょっと持ち直させてくれた作品です。一生忘れないでしょう。いい出会いでした。

 

 

 

傍目からは感じ取れない現代人の異常が書かれている 遠野遥:破局

芥川賞という賞がどのような賞なのかいまいちわかっていないし、純文学とは何ぞや、なんて考えたくも訊かれたくもないのだが、この賞は僕に定期的にいい作家を紹介してくれるのでまあまあ信頼している。(近年では西村賢太村田沙耶香、上田岳弘)

 

 打率は1割もないのだけど、今回はホームランだった。

わーい。

好きな作家見つけた。

うれしい。

しかも年下なので自分が死ぬまで新作読めるぞ。

ブログを書いている今日の昼に買って、夜に風呂に入り読み始め、終えるまで風呂から出られなくなった。

たぶんもう一度、今度は細部を吟味するように読み直すだろう。

 

いやーいいっすね。好みです。

エリートの転落を描いたものですが、ありがちなピカレスクロマンとは一線を画している。主人公はどちらかというと「いい人」だ。

この「いい人」の定義の話を今作ではしている。

小説は映画や舞台とはちがって、物語としての構造の自由度が高い。それゆえにこういうのがでてくるからおもしろい。

 

いわゆる「リア充」「陽キャ」とネット界隈で称されるスペックを持つ大学4年生が主人公なのだが、彼には何かが欠けている。

日本文学でこういうキャラクターを取り扱うこと自体が稀ではないだろうか?

そのかけている「何か」が、読み終わった今、必死で考えているのだが言語化できていない。

その時点で僕にとって少なくともこの小説は傑作です。

こういう主人公みたいな人って居るだろなぁと。

某三田の大学とかに。知り合いにひとり路上でわいせつ行為におよんで捕まったアホがいて、そいつは某三田にある大学出身のチャラ男だった。

おそらく筆者の学生時代、こんな奴らが周囲にひしめいていたのは想像に難くない。

 

ゾンビの映画を彼女とみているのに、最後まで観終わらずにセックスを始めてしまう、なんてエピソードがあるのだが、そこらへんがちょっと自分とは違うところだ、と感ずる。自分ならいくらセックスしたくてもちゃんと映画は観終わってからするよ。たぶんね。

 

恋愛、マナー、試験、焼き肉、ラグビー、これらのワードが主人公の毎日を彩る。それに対してまっすぐ進む主人公は傍から見れば、なんてさわやかな好青年だろう、と映るだろう。だが考えていることは、主語を省略しまくるあまりにもぶっきらぼうな文体によって、非常に怪しく思えてくる。

 

この作品が持っている感覚を、若干若返った芥川賞の審査員が持っているなら時代遅れのジジイババアのくせに大したものだ。「若者の(危うさの)すべて」としか言いようがない小説。時代ではなく普遍的ものなのかも。

主人公は人並み以上に努力するから優れているし、女性の扱いもうまいからモテる。

なのにこの精神の空虚さは何なのだろう。恵まれたものの精神の貧困ってここまで内容がないのかしら。

なんて、批判的にみている書評は多かったり。

でもあんたらが大切にしている仕事やら家族やらも同様に無意味だよ。

 

 

高度資本主義社会は、文化背景や格差、知能はおいといて、みなおおざっぱに押しなべてこういうところに行きつくのだろう。終着駅は皆虚無なのだね。

おそらく村上春樹スノッブさに共感できない若い世代は本作のほうに共感する。

わたしもこちら側である。

深い人間ドラマなどつまらない。そんなものは作り物で存在しない。

こちら側はもっとシンプルで、外側はモノや娯楽で満たされているが、心がとにかくがらんどうなのだ。

 

 

破局

破局

 

 

ミニマルな日本語と構造が気持ちいい この後を知りたいけどそれは野暮ってものです 永井龍男:「青梅雨」

打ち切りマンガよろしく、「えっ、ここで終わるの!?」という気持ちになる小説は結構ある。


エンタメだと怒られるので、純文学のほうに。

この脱力感というか、置いてけぼりにされたような感覚。

好きなんです。


エンタメの基本なんか無視でいいので、そんな尻切れトンボな切ない気持ちに浸りたい人にはもってこいの短編集がこれです。
文章が粒ぞろいの短編ばかりでどれも切れ味半端ない。
正直言って、端正な文章なら永井龍男がいちばんなんじゃないかな、とおもっている。
とにかく無駄がないんです。

なんなら、物語的に構造上必要だろ、と考える部分も欠けている。
起承転結の起承で終わってる感じの短編が多い。このあとどうなるのだ……とおもった途端にズバッと物語が終わる。


この終わる瞬間。唐突に終わりが訪れて取り残されたような感覚。


ふしぎなものでなんだか気持ちが良いのであります。


この感覚を初めて味わったのは川端の「雪国」のラスト。あれもピシャンと唐突に終わってなんだか寂しくなったのを覚えている。
こういう小説っていまあるのか。おそらく書き手が居ない。


作中で曖昧に匂わされる結末は、想像できるようで出来ない。不穏な空気がなんともきもちいい。真似してぇなぁ。でも出来ねぇんだろうなぁ。
文体には一部のスキも無い。癖の強い文体ばっかり好んで読んできた自分としては、正反対の方向で好みのタイプを見つけてしまった。
巻末に川盛好蔵の解説に、「無神経な言葉、粗雑な言葉、生煮えの言葉、気取った言葉、こけおどしの言葉はこの作者の最も嫌うところ」とある。
かっこいいよ永井龍男

ミニマルだよ永井龍男

多分ずっとファンでいるよ。

ちなみに、永井龍男村上龍の「限りなく透明に近いブルー」への芥川賞授賞に抗議し、選評「老婆心」を提出したのち芥川賞選考委員辞任を申し出たらしい。
あの村上龍の挑発的であけすけな文体は彼の好みと相いれないだろう。
どちらが好きと問われれば、どちらも好きよ。

文学ではポリモアリストを気取ろう。

新人賞の選評でケンカしている審査員をおもしろがろう。

どうせ文学なんて、結局のところ誰もよくわかんないんだからさ。

 

※ダラダラ続く物語についての考察

 

ダラダラ続く物語がきらいだ。

アメドラやジャンプの対策漫画に代表される。

永井龍男の対義語が上記のようなダラダラ物語だ。

はっきりと、依存症ビジネスであると思う。(netflixは構造からして依存させるようにつくってある)

ギャンブルやドラッグ(アルコールやニコチン含む)、過度なポルノと同等レベルに邪悪であるとも思う。(あくまで個人の感想)

私は長い作品を否定しないが、作品にファンを依存させる構造は大嫌いだ。

その点ではアイドルも同じ。

消費せざるを得ない構造をあらかじめ設計しておく、というのが許せない。

どれだけ快楽を与えていても、それは罪だ。

だから私はジャンプを卒業し、アメドラにもアイドルにもアメコミ映画にも興味を持てない。

儲かるんだろうけどそんな卑怯な真似に貢献したくない。

作品とは人に寄り添い、人生を変えてしまうほどの影響力を持つものだが、ただ金と時間を奪い続けるものに関しては有害である、と断ずる。

私は依存症ビジネスの上客には絶対にならない。多分だけど。

 

青梅雨 (新潮文庫)

青梅雨 (新潮文庫)

  • 作者:永井 龍男
  • 発売日: 1969/05/19
  • メディア: 文庫
 

 

これ以上ないほどにエログロ! タイトルは声に出したくなるよね 野坂昭如:骨餓身峠死人葛

ほねがみとうげほとけかづら。
ほねがみとうげほとけかづら。

骨餓身峠死人葛ですよ。

 

 


骨餓身峠死人葛ですよ!


日本一かっこいいタイトルの小説なんじゃないすかね。
どれだけおぞましいものが書けるかという実験なんじゃないだろうか。すごいよ。
差別アリ、暴力アリ、性描写アリ、これぞエンタメなんじゃないですかね。
この小説は野坂昭如の中編です。
文体はいわゆる野坂文体で、映像的な描写が句点だらけ、読点ぜんぜん無しでやってくるので、いつも読んでいる文の倍以上長い間読み続けるようになり、
なんだか精神的に息が続かないというか、その文体が舞台である戦中の炭鉱を表しているともおもわれ、文中で平気で主語も変わるし、基本酷い事しか起きないので、なんだか読んでいて逆にハイになってくるという代物。(一応まねしてみた)
食料が枯渇つつある九州北部松浦郡あたりの炭鉱という、おどろおどろしい場所のセレクトがまたいいっす。骨我身なんて地名あるんすかね。
表題は、炭鉱で死んだ者の墓から生えてくる白く美しい葛の花。その名も死人葛。こわい。
その葛の実が栄養たっぷりで、戦後の食糧難におけるソリューションと化す。
でも単純にやったー、というわけにはいかない。
この葛、死人を埋めた土からじゃないと生えない、っていうのが悩みなんすよ。
さてどうするってんで、赤んぼ作って殺せばいいじゃん。それ死人じゃん。死人葛生えるじゃん。いいじゃん。という発想になり、
そっからは大乱交&出産&赤ちゃん殺しまくり。徐々に狂っていく人間たちをそれはそれは丹念かつハイスピードで語る。
なんてこと考えるんだ。野坂さん。
主人公は「たかを」というかわいい女の子です。「たかお」じゃなくて「たかを」ね。
この子がさいしょに死人葛に魅入られて狂気を帯び、最終的に炭鉱の人間全員おかしくなっちゃう。
文体はいわゆる野坂昭如の真骨頂。句点でお構いなしに文をつなぎ続けて、疲れたら読点つけるみたいな、黙読してても息切れしてしまいそう。
ずっと「。」がこないから、なんだかそこまでたどりつけないような息苦しさがある。(なんなら読点が無いページもある)
村上龍なんか影響受けてんじゃあないですかね。
てにをはを省くので、なんだかリズムが講談師みたい。それが心地よく癖になる。
この文体はおどろおどろしいところに良く似合う。後半なんか1ページにひとつしか読点がない。
うわーーーーっとえぐい情景描写がダイジェストのごとく次々と襲い来るもんだから、興奮しちゃうよ。
おそるべきドライブ感。
いやーとがった文体ってほんとにいいですね。普通の文が味気なく感じるよ。辛いもの好きみたいで麻痺して際限ないよね。
ラストは犯しまくり殺しまくりで、さらに炭鉱が水に沈みなにもかも終わり。
流される死んだ主人公であるたかをの股には卒塔婆がぶっ刺さっているという狂気のビジュアル。これで終わり。こっわ。最高かよ。
なんだこれ!映像化してぇー!!してよー!

 

 

 

一度でいいからみてみたい タンカー千切りするところ 劉慈欣:三体

流行りの中華産SF小説

想像の遥か外。

アイディアの坩堝。

わたしこそちっぽけな虫けら。

歴史も科学もエンタメ要素もごちゃまぜ。これぞオールドスクールなSF。


やっぱSFは短編より長編が好きなんだよなー。
えてして短編というのは言葉を切り詰めた切れ味が必要なので、アイディアと世界観のディテールで勝負するSFはなかなか難しい。よくできたSF短編はミニマリズムえぐい。
この「三体」はそこら辺を上手くクリアするために近現代の中国を舞台にしたサスペンスエンタメにSF短編フレーバーをかけて作りました感がすごい。
あと激しく読みやすい。SF小説は残念な訳を楽しむ変態のおかげでマイナージャンルになっているわけですが、
今回は「リア充」ことばなんて使っちゃう大森さんのバランス感覚のおかげで問題ナシ!読みやすいっす先生!
本作は面白アイディアが湯水のごとく使われている贅沢仕様。変に観念的じゃなくてビジュアル的に派手で画変わりも多い(映画的)のも素晴らしい。
キャラクターをいじくりまわして遊んでるタイプの小説じゃないのもいい。キャラ付けは最小限に。やりたければ黒歴史ノートか、よくてラノベでやろう。
メインはキャラじゃない、アイディアと世界観なんよ。小池一夫の教えは偉大だけど、キャラクター物は儲かるだけでおもしろくない。でも儲かるよね。いいよね。
視点や時間軸がお構いなしにピョンピョン飛ぶのも映画的。タランティーノかよ。いわゆる物語の構造無視型。これは優等生ではつくれまへん。


整理すると、文化大革命時代の中国(主人公 葉文潔):がっつり歴史ものの香り。旦那密告して殺してるの笑える。読みやすい。

原因不明の組織を追うサスペンス(汪、強):SFサスペンス。科学の細かい話が出てくるけど許容範囲内。普通の小説っぽい。読みやすい。

VRゲーム「三体」(汪):歴史と科学の発展。脱水と三つの太陽。なんじゃこりゃとおもいながら読む。想像力オーバーフローしちゃうSF特有のアレその1
旗を持った大量の人間でコンピュータの基盤を作ってるとこが一番笑える。封神演義よんでるから周の武王とかいきなり出てきても安心。
でも三体世界が頭の中でフジリューの絵柄になるという地味な二次被害は否めず。

三体文明とのファーストコンタクト(葉文潔):中盤の説明コーナー。中華版映画「コンタクト」っぽい。女性だし。旦那と上司まとめて殺してるの笑える。

三体文明のメッセージを奪うぞ作戦(汪、強、米軍のひと):サスペンスアクション。なんといっても切れ味抜群ナノマテリアルワイヤーをパナマ運河に張って巨大タンカーを乗客ごとスライスする途方も無さ。
主人公側なのにやってることがクソ残酷だけど笑える。映画「ザ・セル」の馬の輪切りとかゆで卵を切るスライサーを連想させる。あとジョジョ5部のジェラートとソルベ。

三体文明側の地球侵略作戦準備(元帥):ぶっとび文明のぶっとび科学実験。想像力オーバーフローしちゃうSF特有のアレその2
えげつないスケール、次元の操る科学力(でも二回ほど失敗してえらいことになる)。作者の想像力が爆発して読んでいる方が酩酊状態になる。
陽子を三次元展開するあたりからもはや画が浮かばない。想像力がおいつかないよ。読みやすいとか読みにくいとかの次元では無い。

To be continued…

 

てゆーか三体主義者の人文思想レベルが異常に低い上に過激すぎ。
どこが知識階級だ。ただのバカじゃねーか。いや、物語としては最高なんですけど。
保守思想を学びなさい。西部 邁とか。特に葉文潔とエヴァンズ、きさまらだ。
特にエヴァンズは視野狭すぎ。幽白の仙水かよ。ヒトラーでももっと段階踏んで歪んでいったぞ。「資本主義はクソだ!モナリザでケツを拭け!」以上の「地球文明クソ、詳細しらんけど別の文明こそ至高」みたいなガバガバすぎる思想。
劇場版コナンの犯人並に動機があさはか。そう簡単に人類をあきらめちゃいかんよ。ワイヤーで三等分されてざまあ。
主人公格なのに少女漫画のヒロインみたいなメンタルの汪教授は次の巻でヘルシングのウォルターみたいに敵をナノマテリアルワイヤーでぶった切ってほしい。マンガ脳的には。続編早く読みたい。
史強は少女漫画の最初最悪な印象だった不良イケメンポジション。まあ、うん……便利なキャラだね。次回アクションするだろうね。

キャメロ~~~~~ン!!! タンカーが千切りスライスされる映像を撮ってぇええええ~~~~~ タンカーじゃなくタイタニックでもいいよー!!!

 

 

三体

三体

  • 作者:劉 慈欣
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2019/07/04
  • メディア: ハードカバー
 

 

ダメ人間の見本市 筒井康隆:家族八景

突然ですが、わたしはダメな人間を見たり聞いたりすることが好きです。

ダメ人間のことを考えるだけでわくわくします。
自分がダメなのでダメな人がいると共感します。
わたしのダメな人間のなかで好みのタイプは、自分同じタイプである怠惰で人間ぎらいな性悪な人です。
そういう人が創作作品に出てくるとこの上なく共感しますし、酷いことをしたり言ったりすると笑ってしまいます。
たいてい、悪役だったりします。
逆に嫌いなタイプは、元気が良くて、リーダーシップがあり、みんなの人気者的な主人公タイプです。
もしそんな人がいて、この作品を未読だったらぜひ読んでみてほしいのです。

筒井康隆はダメな人を書くのがじょうずです。

この「家族八景」は、心の中を読むことができる「テレパス」の超能力を持った火田七瀬という女中さんが主人公の短編集です。
続編に「七瀬ふたたび」、「エディプスの恋人」があり、「七瀬三部作」なんてカテゴライズされてます。
この作品で直木賞を逃して、ずっと文句たらたらなのが面白いですね。よほど自信あったのでしょう。
七瀬は様々な家庭に女中として派遣されては、トラブルに見舞われる不幸体質の女の子です。
この作品の面白いところは、テレパスを利用して得をするのではなく、七瀬は徹底的に損をし続けることです。
七瀬三部作は、テレパスと言う能力のせいで七瀬が酷い目に遭い続けるお話なのです。

肝は、七瀬が登場人物の思考をすべて把握することによって、人間の醜い本音に苦悩しまくるところです。
主人公はおまけにとびきりの美人という設定なので、まあまあの確率で男性が七瀬に対して性的な妄想をします。それがいやでも聞こえてしまう。
七瀬は男と相対する時、常にセクハラを受けている状況なのです。(そこがまたいいのです)

作中では括弧に囲まれてキャラクターの本音が七瀬に伝わってしまいます。

セリフとは裏腹にすさまじい思考をしている場合がほとんどです。


下記は些細なミスを犯した七瀬に対しての雇い主の一言。

 

「あら。もっと小さなウイスキー・グラスがなかったかしら。それ、シャンパン・グラスよ。」(白痴。田舎者。)


理不尽な罵詈雑言と言うのはおもしろいものです。

七瀬も慣れてしまっていて、この程度ならもうショックを受けないのがまた健気。

人の本音と言うのは醜悪この上ない。

滑稽と言うレベルを超えて嫌悪感をおぼえるのです。

それが楽しいのだからじぶんでもようわからん。
男性の本音は気持ち悪いですが、女性の本音もえげつない。

七瀬が夫の歓心をかって嫉妬の対象になるパターンでは、とてつもなく邪悪な罵倒をくらうのです。
外面は優しかったりするので、本当に七瀬がかわいそうになるのです。。。それが楽しいのだからじぶんでもようわからん。

こういう趣味の悪い娯楽はなんというか。レディコミとか。デビルマンとかエヴァとか。人間の暗部を喜ぶ性癖の人って多いのでしょうね。
海外の映画では結構見かける気がする。ラースフォントリアーとか、ミヒャエルハネケとか。

ラスト、七瀬はあるキャラの怨念に近い内容の心の声を怯えながら聴き続けます。

ひっでー終わり方……と言う感想。でもおもしろい。

内容が本当にえぐいのだけでも、良くも悪くもキャラクターが昭和的ステレオタイプなので令和になってしまった今、どこかファンタジックかつ滑稽で、それもまた新鮮なのでございます。

醜悪な人間フェチはぜひ、読んでみてください。

 

 

家族八景 (新潮文庫)

家族八景 (新潮文庫)

 

 

天才作家の渾身の一撃 町田康:告白

 

平成に刊行された小説の中でも間違いなくトップ10に入るであろう大傑作。

谷崎潤一郎賞受賞。「朝日新聞平成の三十冊」で3位。

分厚いからみんな読まないのかなぁ。超面白いのに。好きでたまらない。
本作は日本の近代小説の金字塔です。ゼロ年代海辺のカフカじゃなく今作を中心に語られるべきだった。

ユーモラスでひらがなを多用し簡易な単語ばかりの河内弁を使ったセリフ回しと、作者のツッコミが光る地の文とのグルーブはどのページをめくっても気持ちがいい。
読んだ当時ぶったまげました。筒井康隆以上にふざけてて崩壊寸前。これは「純文学」なのです。文章を味わうことができる。これが美味美味。
ふざけてて笑えるのに、エンタメとしても超優秀なのです。これがまた。これほんとうにとんでもない傑作ですよ。「文学」なのにエンタメ小説が太刀打ちできないほど面白いんだから。
河内音頭のスタンダートナンバーである「河内十人切り」恋愛+ギャンブル+犯罪+ファンタジー要素もあり、総合小説といっていいのでは。
ここ最近はやりの大どんでん返しだったり、伏線貼りまくりのテクニカルな構造を取っていません。それもまた硬派ですばらしいのです。アイディア勝負ではない。プロットに頼らない。超一流作家の横綱相撲です。
ちなみに文壇文学賞の4大タイトルともいわれる芥川賞谷崎潤一郎賞野間文芸賞川端康成賞すべての受賞者は大江健三郎、大庭みな子、河野多恵子丸谷才一、そして町田康です。存命なのは大江さんと町田さんだけですね。なにが言いたいかと言うと、ほんとうにすごい作家ということ。その凄みが一番感じられる、代表作がこの「告白」なわけでございまする。

いくら褒めても褒め足りないのでここらへんでやめます。

以下あらすじ

 

時は明治。

河内の水分というところに住む、城戸熊太郎というどうしようもない農民が主人公です。その熊太郎がまあ不器用で怠惰。

あかんではないか。


ろくでもない奴なのですが、それは農村での規範から照らした場合のこと。この時代には珍しく、思弁的、内省的な人間だったのです。
彼は生きづらさを感じています。彼の中には伝えたいことがたくさんある。抽象的で画一的な表現では伝えきれない複雑な思いが、胸中でぐるぐるしている。
熊太郎の不幸は、それを他人に伝える「言葉」を持っていなかったのです。
河内弁を使う周囲の人間は良く言えば無邪気、悪く言えばぶっきらぼうなアホです。人一倍繊細な熊太郎は彼らとうまくやっていけません。
だって、使っている言語が、熊太郎の心理を表現するには足りなかった。町田康は、知らない言語の国に迷い込んだ旅人のよう、と形容しています。
それが彼の人生を、見れば最高に滑稽で悲惨なものにする。

熊太郎はこの小説の中で、様々な体験をします。神懸った神秘体験、賭博、金銭トラブル、恋愛、盆踊り、婚姻、暴力沙汰。
周囲との意思疎通がうまくない熊太郎は、そこでやりきれない思いをかかえながらも懸命にがんばるのです。めっちゃ傷つきながらも懸命に。
しかし35歳になったある日、限界が訪れます。金をだまし取られ、最愛の嫁も寝とられた。さらに集団でボコられ半殺しの憂き目にあった熊太郎。
相手は熊太郎をアホと決めつけて何かと迫害してくる金持ちのぼんである松永熊次郎。
唯一の弟分である弥五郎と決死の復讐へと向かいます。田畑を売り払い、武器を買い込み、肉親に別れを告げる。

かの有名な、「河内十人切り」でございます。
熊太郎と弥五郎による、松永一家皆殺しです。

その時熊太郎は獅子舞の面をかぶります。獅子舞の内側の暗闇の世界と、まだ生まれて間もない赤子でさえ容赦なく切り捨てている現実世界。その半々を熊太郎は見ています。
自分の脳内と現実には暗闇が挟まっていて、本当の気持ちだとか、やる気だとか、恋する気持ちだとかが、その暗闇のようなものでさえぎられてきた。
コミュ障、というには重すぎる熊太郎の人生はそれから絶望的な様相。
大量殺戮を終えた後は山に潜むふたり。周囲は警官に囲まれている。
熊太郎は一世一代の「告白」を、弥五郎に、神様に、そして自分自身に試みます。今まで自分が何を感じて生きてきたか。言葉を懸命に探すのです。
その最後の「告白」がほんとうにやりきれない。今まで熊太郎と一緒に苦しんできた読者からしたらもうたまらない。訳の分からぬ感情でいっぱいになる。
たった一言に集約されるのです。その後、熊太郎は自害します。

三島川端の美しい文章もいいけど、ぎりぎりを攻めた壊れる寸前のポストアポカリプス的文章、かつここまでのカタルシスをもたらすプロット。

湊かなえのほうじゃないよ。映画の出来が良すぎたからこっちが目立っているけど、小説で「告白」といえば町田康のほうでまちがいない。

思い入れが強すぎていつまでも文章がまとまらないっす。

ぜひ読んでみてください。

 

告白 (中公文庫)

告白 (中公文庫)

 

 

日本のSF小説はほんとうにおもしろい。 伊藤計劃:虐殺器官

 

 

天才の所業です。

 


日本のSF小説の潮流を変えてしまう程の魅力を持った作品です。はてな民の方には釈迦に説法の気がしますけど、ほんとうにすきなんです。許してください。
このブログも著者の映画ブログ『第弐位相』に影響を受けて始めたものです。(このブログより千倍おもしろいよ)
伊藤計劃はわたしの人生にむちゃくちゃ影響を与えた人で、小説を書き始めるきっかけとなった人でもあります。

 

舞台は近未来のアメリカ。米軍兵士であるクラヴィス・シェパード大尉は特殊検索群i分隊という、暗殺が任務の部隊に所属している。母の死や世界に頻発する独裁者による自国民の虐殺、メンタルケアの発達により子供を殺しても何も感じない自らの心、など様々な頭痛の種を抱えつつ、虐殺が起きる地域に必ず姿を現すアメリカ人、ジョン・ポールを捕らえるためにクラヴィスは今日も頑張る。心に蓋をしつつ……
みたいなあらすじです。
文体は作者も公言しておりますが黒丸尚の翻訳調にかなり影響を受けています。ギブスンとかスターリングでしょうな。
ルビ振りまくり。ここで海外SFを呼んだことが無い人は若干の違和感を覚えるけども我慢。


SFやハードボイルドに合う乾いた印象です。黒丸さんの訳でいちばんすきなのは、ニューロマンサーで作品のコアとなるAIのなまえ”winter mute”を、『冬寂』と訳したとこですかね。HUNTER×HUNTER感先取り。粋だね!"
わたしが最も評価するところは人文哲学(カフカ)、社会学(経済、歴史)、科学(生物学、言語学)大衆文化(モンティパイソンや映画、頭文字D))
教養としてほしいところ全部網羅しているところでございます。いわゆる知的好奇心が性感帯の人はもれなく絶頂するのです。(別に嘘でも構わない)
はっきり言ってね、日本の文学はその他の学問に弱い。あまりにも情緒的に過ぎる。エンタメや表現に振りすぎている。
総合的な教養を摂取できるのは村上龍京極夏彦ぐらいです。

そんなおもしろ知識小説であるにもかかわらず、戦闘描写は抜群。エンタメとしても素晴らしすぎる出来なのです!!!
シネフィルである作者特有のバランス感覚なんでしょうね。

 


欠点としては、筒井さんも指摘していた部分で、メインアイディアである「虐殺器官」そのものの根拠が薄い。おそらくチャック・パラニュークの「ララバイ」が元ネタでしょうが。そこさえ目をつぶれば、まあ良くできた小説です。100点満点中99点。これ以上無いくらい。

あ、映画は全体的に微妙でした(脚本における情報量のコントロールが難しかったね)が、インドでの市街戦でドローンを使った戦闘シーンは素晴らしい。ていうかこういうテクノロジーでやんちゃした市街戦もっと見たいよ。ブレードランナー2049でラブちゃんが使ってたドローン空爆とかさぁ。中国映画が先にやっちゃうかもよ?メタルギアの映画で観れるのかしら。
サー・リドリー・スコットブラックホークダウンにUAV使ったらこうなる。

トランプ大統領の出現を予言しているような作品です。ほぼ就任と同じタイミングで映画化したので本当にびっくりしました。湾岸戦争、9.11、イラク派兵、トランプはひとつなぎのワンピースですね。

 

 

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

 

 表紙は前のデザインが良かったなあ。(神林しおり感)

情報量の暴力 大混乱を楽しめる素質を磨け  トマス・ピンチョン:競売ナンバー49の叫び

ピンチョンはね……文学をかじろうとする人間にとっては憧れなんですわ。
二十歳なりたてなのに度数高い酒を飲んでみるとか、アマチュア登山家のくせにスポンサー集めてエベレスト挑んじゃうとか。
結果は無残です。難解すぎて読めるわけない。似たような作家にグレッグ・イーガン小栗虫太郎がおります。
この三人のなかならピンチョンが一番マシかな……リーダビリティをある程度気にしているという意味では。
本作はさらに、ピンチョンの中で一番とっつきやすいです。物語の構造がはっきりしている。主人公も一貫している。次に読みやすいのはLAヴァイスかなぁ。
言っとくけどわたしもニワカだからな!期待しないでね!

自分が物語に対して持っている回路とはぜんぜん違うものを積極的に取り入れていくと、よくわかんないけどたのしいよ。最初の拒否反応もふくめて。
同じジャンルに凝り続けるのもいいけどさ。
でもまじめに読みすぎるのも禁物。泥沼とはこのことです。ピンチョンはニヤニヤ笑っているでしょう。
巻末にある翻訳者の60ページにのぼるすさまじい量の訳注も、ピンチョン考察病末期患者のカルテとして読めます。
わからない言葉をわかりやすくするのが訳注だろ!もっと難しくしてどうする!佐藤さん、あなたつかれてるのよ。

あとあきらかに笑かそうとしてます。ピンチョンには芸者の心が少なからずあります。脈絡なさ過ぎてわらえない、ふって落としてが笑いの基本や!というのもわかりますけど、
そこはもうピンチョンいい加減にしろ!

とか、

さっきからなにを長々と言ってるんだ!

とか、

ずっと意味わからんぞ!
という慈愛に満ちた突っ込みを入れながら読みましょう。

いずれピンチョンが文学のスタンダードになる時が来る気がしますし慣れておこうね。

 

この作品はエディパ・マースという若妻が、昔付き合ってた大富豪が死んだという連絡をもらうところから始まります。なにやらあたし遺産相続人に指名されたらしい。どういうこと?という導入。
そっからもうカオスです。その大富豪が何をしてきたのか、調べていくうちに大富豪の背後にある謎の組織、「トリステロ」の存在が浮かび上がります。
それは今や確立されたアメリカの郵便システムの前にあった、16世紀ヨーロッパ由来の地下郵便組織だった……そいつらは今も、匿名の通信を闇の中でやり取りしているのだ……
偽造切手、ラッパのマーク、「WASTE」の文字、トリステロの名が出てくる戯曲「急使の悲劇」、唐突な物理学用語マックスウェルの悪魔……
様々なシンボリックな意匠がこれでもかと表れるのだけども、組織や大富豪の真実は見えてきそうで見えてこない。手がかりを追えば、次の手掛かりが表れる。
それが複雑に絡み合い整理が次第に難しくなっていく。夫の様子もおかしくなってきた。エディパの世界はもはや収拾つかない。
情報量が個人の域を超えて、ほぼ狂人(パラノイア)となったエディパはどうなるのか?
大混乱の中唐突に迎えるラストシーンで、あなたはロットナンバー49の叫びをエディパとともに聴くのだ。

 

 

うん……

 

 

は?

 

 

 

わかってるよ、ピンチョンはあらすじを語ることさえゆるしません。

というのも、現代はポスト・トゥルースの時代と言われております。何が本当なのかわからん。科学も何やら怪しいぞ、量子力学は人間の直観的にわけわからんし。
マスコミは構造がレガシー過ぎていわずもがな。
今まで盲目的に信じてきた資本主義もリーマン・ショックであぼん。歴史も教科書もあてにならない。いつのまにやら聖徳太子もいなくなるかもだし。
"なにもかもが都市伝説や陰謀論レベルに信ぴょう性が無くなってる!箱の中に猫を入れてみたはいいけども、猫が生きているか死んでいるのかさえ確定しないのだ。
わたしたち何を信じればいいのん!
それをずっと茶化し続けていたのがピンチョンです。エビデンスのない情報が浮遊する浮世に酔っぱらえおまえら、と。
大きな物語」がぶっ壊れたのをいいことに、2000年代のハルヒに代表されるセカイ系の自意識過剰も根拠なしな万能感を持つティーンにはたのしいけど、あいにくいまの世界は貴様一人の気持ちで変わるほどの情報量ではない。
2次系のカオスの中で、真偽不明、予測不能な量子の動きが今まで見たことのない表現でもって背後からぶんなぐってくる。
スピルバーグガンダムメカゴジラを戦わせる未来があっという間に実現して、あっという間に陳腐化している現在。なんちゅうことだ。
もうかんがえることをやめて、ふざけたおすしかない。うへへ。

町田康がピンチョン好きなのもわかりますね。あのひともどこまで文学をぶっ壊していいのか、というのを模索しているひとなので。
この世の99%がしょうもない、ということに気づいているひとが作るものは冷めていておもしろい。

新潮の全集は全部表紙カッコよすぎ。高いのに集めたくなるから勘弁して。ていうか集めつつある。破産が近いぞよ。

 

競売ナンバー49の叫び (Thomas Pynchon Complete Collection)

競売ナンバー49の叫び (Thomas Pynchon Complete Collection)

 

 

世界の全体最適の加速と個人 あと唐突な暴言がおもしろかった  上田岳弘:ニムロッド

平成30年下半期芥川賞受賞作品。
書店で衝動買いして二日で読みました。いやーよかったですね!最初は上田さんどうしちゃったんだ?っておもっちゃったけどね!
芥川賞は純文学の新人賞なのでSF作家はなかなかとれません。近年では円城塔ぐらいかな?
好みに合わない作品がとることがおおいのですが、これはよかった。芥川賞では個人的に「コンビニ人間」以来の大ヒットですね。こっちはあんまり売れないかもしれないけど。
普段本読まないIT屋達が買っていってほしいですね。

前半は正直退屈です。怒りさえおぼえました。おしなべてナイーヴな登場人物の配置と、ビットコイン入門みたいな記述がた・い・く・つ!

まあITには縁遠い芥川賞審査員たちに忖度したのでしょうか。
ちょっと丁寧すぎる気もしますね。
良くも悪くもバランスに気をつかってる感じは見受けられますね。上田岳弘は初手からぶっ飛んだ描写の作品も多いので、すかされたかんじ。なんかほんと器用だなぁ。
wikipediaや個人のブログみたいな文体を採用した部分と普通の一人称が交互に出てくるので、なかなか本書の構造をつかめないきらいはあります。その予測不能な変化を楽しみだしたタイミングが中盤できましたね。
リズムに慣れてグッとハマれました。
舞台はIT企業だったり高級ホテルだったりするので、ビジュアルイメージは非常に都会的でプチブルジョワな感じすね。出てくる人みんなが定時上がり出来ているのがまたホワイト企業働き方改革

この構造はシームレスな現代人の情報に対するリズムを表現しているようです。ツイッターみて、ブログ見て、仕事のメール見て、飲みに行って友人としゃべって、恋人と眠る。抽象度と媒体、情報の粒度、リアルとヴァーチャル、それぞれの属性は違うけども、うまくペルソナを切り替えて柔軟に対応している。人間がシステムに合わせるわけです。確固たる個人など幻想に過ぎない。

後半、主人公の友人であるニムロッドというSF作家の小説の一部が唐突に挿入されるところからかなりおもしろかった。そしてメインテーマがひっじょ~~~に現在、
そして未来永劫にわたって人を悩ませ続ける重いものとなっております。
それは、ビットコインのシステムに代表される、自分を含めた大量の人間たちが支えるシステム、その変化を我々個人は何の抵抗もなく受け入れるしか術がないということ。
グーグルやamazonビッグデータ、巨大企業の買収劇、我々を包むシステムは加速度的に変化し続け、我々は対応するのに精いっぱいで、時には変化を理解できず、眺めることしかできない。そんな漠然とした不安を我々は常に感じている。
昔に比べてスピードが速すぎるんですよね。東京事変の「NIPPON」という曲の中に「ほんのついさっき考えていたことがもう古くて 少しも抑えてらんないの」という歌詞がありますが、特に年配の方はそう思うことが多いのでは。"
自らがレガシーとなり、影響力は限りなくゼロになる。自分の中に確固たる価値があるかといえば……無い。全く無い。年収の比較やブログでの自由人アピールなどはすべて悲鳴のように思える。
経済も政治もすべては一部の人間が生み出した幻想です。
それはユヴァル・ノア・ハラリっぽくなっちゃうけど、人類が合理化を繰り返すとおそらく神のような知性をもった、幻想を生み出すことのできる一部のエリートと、それに振り回されるその他大勢の大衆、きわめて無産階級に近い人たちに二分する。
システムに排除されたものである久保田は外資系金融でM&Aの案件を進めているがやりがいを感じられていない。主人公は顧客のシステム保守の傍ら、空いているサーバを使ってビットコインのマイニングに励む。
世界規模のシステム、プラットフォームの一部となり、活動をすることに我々は余儀なくされている。その点、ニムロッドは自分だけのバベルの塔、つまり誰にも見せない小説を書くという極めて個人的な行為を進めていく。
なぜか、主人公にはメールで送りつけるというよくわからないことをするんだけど。その誰にも見せない小説、というのが自らの唯一のオリジナル、自分が作ったバベルの塔であると。システムをささえるではなく、なにか自分で確固たるものを作り出そうよ、ってことでしょうね。


芥川賞という、レガシーシステムの代表みたいなものにのみこまれちゃったけどな!

 

 

 


それはさておいて、めちゃめちゃ面白かったところがあります。

面白いというのは個人的なツボで笑えるという意味です。ニムロッドとヒロインと主人公で初めて会話をするシーン。

以下引用

 

その時、ニムロッドは二十七歳で死ななかったロック・スターとして、トム・ヨークの話をした。
今にもこの世から退場しそうな彼は結局生き残り、近頃では念仏みたいな歌ばかり作っている。

 

おい怒られるぞ!!!急に実在する人の辛辣な悪口を書くなよwwww 多分この本を読まないだろうけど、だからって悪口言いたい放題言っていいわけじゃないぞ!しかも話とほぼ関係ないぞ!
確かに最近のアルバムは辛気臭くていつ聞いていいのかいまいちわからない退屈な曲ばっかだし、意識高いだけのダサい政治活動するし、ベジタリアンだし、ハゲてるし、ビョークに歌い方が気持ち悪いって言われてるし、バカにしたい気持ちはわかるけども!だからといってかわいそうだろ!いい加減にしろ!
twitterでトムヨークにチクってやろうかな… どんな反応するかな?…アイツ落ち込んだら面白いだろうな……これでまたロックっぽい曲作り始めたら上田岳弘恐るべし。ノエル・ギャラガーの生霊が憑依したのだろうか。
あーおもしろい。声出して笑いました。唐突に理不尽な悪口っておもしろいなー。これだから小説というなんでもありのメディアはたのしい。あー最高。なんかどうでもよくなっちゃった。

 

第160回芥川賞受賞 ニムロッド

第160回芥川賞受賞 ニムロッド