フランスの現役作家ナンバーワン、ミシェル・ウエルベックさんの処女作でございます。
その名も「闘争領域の拡大」。題名が堅い!読む気が起きない!
カッチカチやぞ!
とはいえ内容は意外にポップ。モテない成人男性の日常って感じ。章分けが細かくて最後にオチがあるんだかないんだかわからんが読みやすい。
基本良いことがまったく起きないので、楽しい話では無い。笑えるとこは結構ある。"
こういうの読んじゃうとさー、非モテってどうしたらいいんだろって思うよね。
一回もモテたことない人って居るわけじゃん。異性に対する承認欲求って絶対人間にはあるわけで。
その解消ってあきらめきれるものなんだろうか?(あきらめきれません)
モテたことが一度でもあるだけで救われる命もあるはずだよね。
そこでキャバクラとかホストとかの存在意義があるんじゃないか。どんなに依存性があろうと、どんなに害悪だろうと。
青年期にモテるかモテないかって言ってしまえば命に係わるんだよね。頭がいい悪い並みに大事。
まあこの本は言ってしまえば、資本主義に伴う経済の自由化は、恋愛市場の自由化ももたらした。それによって、経済による闘争領域が、性的なところにも拡大したよね、ってことです。
あんまりモテない主人公とさらにモテない同僚ティスランの二人の奮闘記なわけです。
ティスランは非モテ中の非モテ。我々みたいにズレたおしゃれをする。盛り場に行く。当然うまくいかず傷つく。そのループ。
ループの果てに、ひどい学習性無気力へと陥る。仕事でもなんでも、可能性があるから頑張る。
でも不細工な男というのは、可能性のかけらも感じられないのがデフォルトなのだ。
傷つくとか頑張るというのは生きることと同義だ。それを拒否することで生きる手ごたえがなくなっていく。
痛がりな我々は痛みを受けるたびにメンタルやられる。
恋愛が取引となる、という問題もある。要は、大人になると各種条件が増えていって、恋愛の狂気がなくなり、単純な金と体と契約の関係になるということだ。
絶望的なナンパ失敗を終えての二人。
ティスラン「もう駄目だと思うかい?」
主人公「そうだとも。ずっと前から駄目なんだ。最初から駄目なんだよ。」
そんなこと言ってもいい。
モテない男はいくらでも愚痴る権利がある。
やけになって死ぬのと殺すのだけやめような! いつの時代も一定数いるけど!
非モテ男女は日々傷つく。傷つき続け、消耗する。つらい。
ジェンダーだの社会学だの面倒くさいことはほかのはてな民に任せておいて、俺たちはこの「モテない」という現実を味わいつくそうじゃないか。
痛みを受け入れよう。少なくともこの痛みだけは我々のものだ。
痛みのない人生なんて嘘だ。
そうだ。ソープいこう。