こんなことやってていいのかな、という思いと、でもいずれ死んだら終わりだもんな、という思いが交差して訪れる。今月で仕事を辞め、明日からは浮草。
無職期間を数か月続けるだろう。
最後の給料日は来月10日。
住民税でいくら吹き飛ぶのか。吹き飛ばないでほしい。
とまれ今日は雑司ヶ谷から池袋まで歩く。

なぜか。
それは「150年」とかいうアート?建築?インスタレーション?を観にいきたいのだ。わたしは。アートとか観るわたしだ。
上記のようにぼんやりアートなんじゃね、ってだけでどんなジャンルの何かもわからないままとりあえず見にいく。
Xで情報を仕入れ、これおもろそうやんけ、ということで何も下調べせず、予約だけしてきてしまった。
雑司が谷から見える建設中のビルと霊園を横目に10分ほど歩いて着いた。
こんな感じである。まだなにもわからない。

列を並んでいる時、前の人に、「ここ14時からの列ですか?」と問うた。「そうです」、訝し気に答えてくれた。助かった。よく見たら優しそうな眼をしている。何かしらの才能がありそうだ。
そしたらモテそうな背の高い兄ちゃんが、優し目前人に近づいてきて、今日はありがとうございます的な挨拶をしてきた。
どうやらこの展示の最高責任者らしい。
兄ちゃんは前の人を見にくるように誘ったらしく、ちょいイキリつつ挨拶を終えた。
隠しつつも漏れ出している。おそらく展示に自信があるのだ。私は俄然楽しみになった。
ひとんちの匂いがする!

どうやらこの展示は、年季の入った家屋や工場などの建物の中をぶち抜いて6軒位を建設用の足場などでつなげ、その中を客が自由自在にウロウロできると言うものだ。足元の状況は激悪で絶対にヒールなどで行かないほうがいい。

基本的にはつい先日まで人が住んでいたような痕跡がある家屋なのだが、唐突にアート作品が展示されている部屋などがあり、自由に探索できる部分も含めて、体験としてかなり面白い。

私はこの展示にしびれてしまった。
私は土足で人の家に踏み込む罪悪感を感じながら思った。「あーコレはやったほうがいい。こういうのはもっとあるべき。」
入った瞬間これはいいぞ、とも思った。
音の演出でちょっと自由度の高いお化け屋敷的な緊張感もあり、ダークソウルなどのダンジョンで迷っている感覚もあった。




こういうことを真剣にやっている人がいるのが嬉しかった。
こういう展示が東京でさらっと思いつきで行けて嬉かった。
有給消化愛してる。
東京に住んでいる理由でもある。楽しかった。
この勢いで私が大学時代を過ごした池袋周辺に向かう。池袋に行くと、学生時代愛していた飲食店がまあまあ生き残っていてうれしい。今日は「生粋」というサンマの出汁を使ったラーメン屋に行こうと決めていた。なぜか食べたくなるのだ。

無料しごと紹介所というのがあって、飛び込んでしまいそうになったがギリギリでやめた。なんか面白い仕事があったら勢いで始めてえらい目に合う気がする。
さて池袋へ向かう。
大勝軒がある!

本店だこれ!いこういこう!行くべきだ!
生粋は頭から吹っ飛んだ。
最初の口当たりは甘く、途中で辛味がくる。
うまいぜ!量も結構ある。
アートをみて困惑した後は衒いの無いシンプルなつけ麺に限る。
平日15時というタイミングもあってか店内は空いており、店員もやや弛緩した雰囲気で落ち着く。

この店は昭和36年からあるらしく、その古さに嬉しくなる。
令和360年まで続いて欲しい。
腹も膨れてしばらく歩く。
自然とものを考える。
私はこの時間が何より好きである。
伊藤計劃は学問と芸術とエンタメどれに1番興味があったのだろうか、なんてとりとめのないことを、この時歩きながら考えた。
彼の小説の理屈っぽさは、庵野秀明のようなかっこいいからアカデミックな意匠を使う衒学趣味ではなく、ある程度本気で本を読んで、ちゃんと未来はこうなるだろう、と予測して小説を書いていたような気がする。もちろんエンタメの文脈だが、どこか絶望的な未来、科学に対してのネガティブさが、伊藤計劃の魅力だ。私が小説が書くとき目指すポジションも、そこでありたい。学問と芸術とエンタメの間三角形のど真ん中あたりをついていきたい。どの領域の人間も勃起させたい。
久しぶりに訪れた西池袋は相変わらず綺麗だと思ったが、1本通りを入ってしまえば結構古い独居老人の家みたいなのがたくさんあってなかなか落ち着く。

さて、母校である。

ヤバい、さすがに懐かしい。キュンとする。

別の建物内では、黒髪ロング姫カットでチェックスカート女学生が友達とだべっている。
予言する、君は自意識と一生戦い続ける… 頑張ってくれ。
さて、一通り懐かしんだので長居はしない。
池袋駅から帰るとする。
帰り道、後ろで男子学生グループが話している。
「少しズルをすれば人生はチョロい」と。
うん。そうかもしれない。
というか、若ければ人生はチョロい。
なぜなら扶養されているからだ。
まだ君は一度も自分でクソ高い社会保険料を払っていないのだ…
まだ話している。「あいつ学歴厨だから生きにくそうだよな」
そうだね。学歴に囚われると生きにくい。その通りだ。
「生きにくい」という言葉はみんな感じていることだろうから、流行っているのだろうが。私は逆に生きやすい人に会ってみたい。
生きやすい人とはどこにいるのか。
我こそは生きやすい、という人おらんか。土地持ちとか?
橋本環奈とかだろうか。あの子も多分大変だろう。
生きやすい人、苦労したことない人、話してみたい。