第4阿呆特急

一人旅をします。

若干狂い気味の思考 秋葉原丸五のひれかつ

37歳の男性が次も決まらずに仕事を辞めた後の2週間はどのようなものでしょうか。

開放感から遊びまわる。

仕事の心配をする。

かねてからの夢であった小説を集中して描く。

 

違います。

 

正解は、体調不良になる。


そして精神面での緊張が解け、一度やったゲームを繰り返しやるだけの阿呆になるのである。これまさに阿呆特急。こころをばなににたとえん。例えばアジサイの花。そんないいもんじゃねえ。

 

私はアプリ版ドラクエ3,4を裏ボスまで打倒し二つの世界を平和に導いた。

5のラスボス前まで進み、ようやくドラクエに飽きたのである。

現在はPS4でSEKIROと、PSPギレンの野望ジオンの系譜を同時並行でやっている。マジでなんでやねん。

 

狂人ではないが不毛なことばかりやっている。せめてブログくらい書くべきだと思ったが、なんかそんな感じではなかった、というあいまいな言葉でお茶を濁そう。

 

しかし、そんなことばかりしていられぬ。

私は小説やブログを書かねばならぬし、各場所へ一人旅をせねばならぬし、リヴァプールのチケットをとらねばならぬし、国保や失業保険の手続きをせねばならぬ、大忙しの無職なのだ。

 

ただそれをサボりにサボった。これからがんばろっと。

などといいつつSEKIROで、でかい鯉にぶっ殺されていたりする。虚無。

 

次の日起きて、相変わらず泥のような気分の朝。

自分は起きて少しもぞもぞし、風呂に入った。

昨晩、風呂に忘れた。入るの入るの忘れた。日本語がバグってる。それぐらい疲れてる。

お湯を沸かす。白湯が飲みてえ。

窓を全開にし熱った身体を寒風に晒しつつ、ぬっるい白湯を飲み飲み、あっつい炒飯をかきこむの。非常に悪くない。

景気が良い。

 

こんな部屋の中にこもってるの嫌よ、とおもいウォーキングに出かける。

私は歩くのだけは心理的負担を何も感じないらしい。



あてもなく外に出ると、母と子供2名が歩道の前あたりをゆっくりと歩いている。

 

幼い姉妹が、母親と連れ立っている。

2歳くらいだろうか。一方は5歳位だろう。

 

非常に可愛らしい風景ではあるのだが、この姉妹というのがおそろいの白いダウンを着て、おんなじズボンを履いていて、上下全く一緒のペアルックだった。

 

私はその服装に何か不愉快なものを感じた。

そばにいる母親の趣味だろう。

姉妹に同じ格好をさせると言うひとくくりにして同じ感じを出している。

それがさも素晴らしいことのようにしている。それが精神に引っかかった。勝手に。

特に妹のほうは楽しそうに何もわからず喋ってるからよい。

5歳のおとなしめの姉のほうは何を思うのであろうか。

この幼すぎて獣の様にはしゃいでいる妹と同じ格好をさせられて、現時点ではひとくくりにされてはいるが、私は1個の精神を持つものなのだ。

同じ服を着ておんなじものを食ってはいる身分ではあるが、アイデンティティーの形成というものが阻害されるような危機感を覚えている。そもそも私は5歳なのにモサいロングヘアなどにはしたくないのだ。もっと自由に、こんな鈍臭い妹とは違う、痛みも悲しみもあるが、生きる手ごたえのある世界へと羽ばたきたい。

そう考えてはいないだろうか。

彼女は椎名林檎の「人生は夢だらけ」の歌詞を聞いて、いつか覚醒する時が来るのではないだろうか。

 

これが人生。

私の人生。

たらふく味わいたい。

 

と言い出すのではないか。

 

奪われるものか。

私は自由!

 

と歌い出すのではないだろうか。

そう願って止まないのである。

感性、自分の持つ独自のセンスのままに生きるということが非常に難しいこの世である。まぁ江戸時代とか、昔よりかはだいぶマシになっただろうが、まだまだ難しい。お互い頑張ろうな、と思うのである。勝手に。

 

カラスが目の前で大きく鳴いた。

変な会社の門構えを見てしまった。

気持ち悪い髪型のサラリーマンを見てしまった。

なんだか非常に不吉な気配がしている。

 

こんな時はそう、タロー軒である。

年を跨いで再訪する!それはいい考えだ。

 

チャーシュー麺はお初である。

そして前回の反省から麺を固めでオーダーをすることをギリギリ思い出す。

 

うまい。

まず具がうまい。

チャーシューはもう言わずもがな。6枚も食える。もはやお正月以上である。

これはもう1番好みの味なんだよ。

そしてネギがうまいまじで。こんなでっかいのになぜか味があんまりない。そしてわかめスープに合う麺は固めです。やはり正解。

やはり家系よりタロー軒である。

好きな町中華の中華そば系の最高到達点だ。

わたしも何かしらの最高到達点だ、と称されたいものだ。今のところ最低の方が近くにあるので悲しい。

目の前で見られるスープが非常にいろんなもんが入ってて、目の前のスープか何かすごい贅沢なようなものに感じられる。

 

昨今ビジネスにおいて知ったような口を叩いて金をとる輩が多く輩出されているが、感性が充分磨かれてない人間がロジックに頼るのだ。感性があればそれで十分。私はそう思う。そう思うが私は成功していないのでやっぱ違うかも。

 

気が狂っているかもしれん。あるいは感性が鋭くなりすぎか。

 

私は女性の髪形について歩きながら考えていた。

なぜ女性はロングヘアにするのか、という誰からも与えられていない課題がある。

私はロングヘアの女性が嫌いで、ショートカットが好きです。

ボブカット、あるいは少年のようなショートカットが理想であり、それ以上伸びた場合はあまり女性として認めない傾向がある。

それはなぜか例えば平安時代の貴族のように黒髪で何ならも床に髪を引きずる位のロングヘア、あんな人間は、まぁまともに身動きができないする必要がないのである。つまりまぁ要は見た目1点主義というか、外見が綺麗だから許してねと言う発想が延長線上にあるのだ。それはキャバクラ嬢の全然機能的ではない外見であったりだとか。ではその機能と言うものを捨てて外見の美1点突破で人生を生きていこうと言うようなそんな思想が垣間見えるからである。

そのショートヘアに関して言うと、料理だったり、まぁ実際に手を動かす仕事をやりますよ。ヘアケアに使う時間をもっと有意義なことに使うわよ。もちろん外見だけじゃなくて私は仕事ももうすごい腕なんですよ。っていう主張が感じられる多面的な人間性が醸し出す魅力がある。

文句を言いたいロングヘアの人もいっぱいいるだろう。ただどっかしら自分の外見を使って仕事をもっと良い方向に持っていってやろうと言うような意味合いの雰囲気が漂うのは間違いない。

プラスして、私は髪を茶に染める人間を基本的に認めていない。どうやったって不自然だから。私はもう生来色素が薄く髪の毛が赤茶色いので瞳のほうも色素が薄く、茶色いエルデンリングのキャラクリエイトすればわかるとなんだが、やはりあの髪の色と目の色というのは合わせた方が美しい。あと基本的に日本人の薄い顔には、茶髪は合っていない。ましてやもともと真っ黒だった髪を薄い色に染めると言うこと自体がちょっとおかしい。真空ジェシカの川北は、女性の髪型を黒髪ロングしか認めないらしいが、私は黒髪ショートしか認めない。

 

………

なんなんだろうか上の文章は。

 

高円寺まで歩いてラーメン食っただけだが、思考は完全にヤバいやつではないか。

 

自分でもひいてしまうが、歩いているときの思考をそのまんまメモっているだけであって、読み返すとそのあまりにもな無軌道さにきづく知性はギリ保っている。それを君たちに伝えたいよ。私はまともなんだよ。ほんとだよ。

 

 



好きな映画を繰り返し観て、

好きな小説を繰り返し読み、

好きなものを繰り返し食べにいく。

繰り返しが自分の軸を形成し、労働により乱れきった自我を補強する。

もう二度と手放さないぞ、と誓い、私は秋葉原ヒレカツを食べに向かうのだ。

 

ヒレカツが食えるのも今までの尊い労働のおかげではあるのでなんとも言えないが…

それより今はヒレカツだ。

丸五 外観

夕食をほぼ食べない生活を始めてから、昼ごはんが楽しみで仕方がない。

朝のセロトニン不足も改善している気がする。

やはり1人でいること…スキゾイドにとって孤独は全てを解決する…

 

なんだか街路樹が陽を浴びて輝いているように見える。精神が健康な証。

観光客が多い。食べ物は言語の壁が少なくていい。

お茶が美味い。

特ひれかつセット。

特ひれ うまいうまい

2950円也。だいぶ痛いが美味い。

まず肉肉しいヒレカツにたっぷりのソースをかけるともう凄まじい旨さ。日本一美味い。日本一美味い。絶対にご飯も必要だ。赤出汁の味噌汁も最高。狂った脳が治る。世界があらたまる。みんなも平日暇なら行ってみよう。