第4阿呆特急

一人旅をします。

渋谷 完全に私と無関係な街

私は齢37になって今更、サラリーマンという人たちがかなり苦手になった。
急にブログの書き出しでイライラして、俺はどうしちまったんだ。マジにやべえだろ。まあいいか。そもそも、今年1月末までそのサラリーマンだったじゃないかお前は。
でもほんとだからしゃあない。

もう、あのおじさんが群れてていっぱいいる感じ、とにかく苦手になっちゃったんだ。

特に食べ物屋に4人以上で来る皆様。チームの絆だか知らんが勘弁してほしい。中年男性が大勢でいるとなぜだか怖い。決して見ていて気持ちいいものではない。

私は会社の課で連れだって食う昼食が一番嫌いだった。もうそういうものから距離を取ることを決めた。これが楽しいとほざく人種に関してはもう知らん。

サラリーマン共は清潔感を出そうとして努力している。そんな所が嫌いだ。プチ整形までしてるやつもいた。マジでなんでやねん。

汚い親父は汚いままで、一人で孤独にたたずんでいてほしい。というか死んだ目で、1人疲れた顔をしていてほしい。社畜のくせに活発であるな。

それにサラリーマンは我が会社の成長という絶対的なお題目を掲げ、俺の好きな町を再開発しやがる。許せねえ。

実はそれが言いたかった。

あのきたねえけど好ましい渋谷道玄坂付近が再開発されちまう。高円寺も危ない。
私は商店街は好きだが複合商業施設は大嫌いだ。冗談抜きで国の政策か何かで禁止して、東急やら三井やらが抵抗したら、自衛隊を派遣して実力行使して欲しい。

私の人生と複合商業施設は無関係だ。縁がない。

だいたいどこに何があるのかわかりにくいし、動線は回遊させることを強いるし、照明はまぶしいし、飯は高い割にまずいし、微妙に狭いから客は邪魔だしろくなことが無い。いいものがあったためしがない。天竜川ナコンの言う「本物の店」が無いのだ。

 

もっといい鄙びた街並み、時間にさらされた本物の佇まいを見たい。街を再開発しようとするサラリーマンは俺の人生に出てくるなよ。警告である。

とはいえ、一般大衆が使うから複合商業施設は建てられるのであって、そこら辺、世間から感性が乖離している。

これをみんながいい、と言っているのに、俺的にはしょうもな、と思ってしまう場合。

共感はそこに生まれず、悲しみが生まれる。

 

バスに書いてある「たくさんの笑顔が走る東京都」というスローガンを、

「たくさんの虫酸が走る東京都」に空目してしまった。病んでいる。それも重症だ…

 

さて、自分の感性の老いはさておき渋谷である。

 

なぜ渋谷かというと、私は小説を書くために会社を辞める危ない男性であり、よく執筆のための取材と称して現実逃避をしている。

今回も渋谷が舞台の小説であるため色々と渋谷を2、3年前からウロウロしてはいたのだが、3月末までに長編小説を書き切ると自分の中で決めたので非常に追い詰められており、今日も今日とて何とか自分に鞭打って、小説を書こうと苦心している。

だが、大きな山は越えたが、まだ大きな山がある。あと大きな山が67個くらいある。それを見て心が萎えているのである。誰にやれと言われているわけでもなし、苦悩は苦悩だがじゃあ辞めればいいじゃんとしか言いようがないのだ。

 

自虐にもなっていないので現状の悩みはそこそこに、とにかく渋谷に向かう。家を出る。

 

行きしな、方南町の駅前、風が強いのか大きめのビニールカバーみたいなものが交差点中央に転がっていた。小さなバイクなどが踏めば横転するだろうし、車高の高いトラックが気づかずに踏めば事故の可能性がある。私は何も予定のない人間の義務として、そのビニール袋を速やかに交差点中央から、交差点脇のフェンス付近に移動させた。

ちゃんとしかるべきところに捨てにいかない、というのが私の善性の限界である。理想を追うではなく、最悪を避けるというのがなんとも日本人的。

 

渋谷に着く。

まずは宮下公園を訪う。

昔と変わりすぎてもはや参考にならない。ていうかもう公の園じゃない。資本主義の園だ。

忌むべき存在の商業施設になってもうた。

特に路面部分はハイブランドばかりやんけ。
完全に私と無関係な空間が続いていく。

渋谷で見つけたシールとか落書き 俺と無関係すぎる

ガード下



三宅坂をのぼるとそこは青山学院大学

いちど学生の時学祭に来たっきりである。

安い飯を食いに無職は大学に入る。

 

学食は、渋谷に来たらココしかないだろ、というレベル。とにかく安い。

学食の様子

カツカレー 460円くらいだったか

スプーンを誤って柄の部分までカレーに落としてべっちゃべちゃにしてしまった。

だがそこは学食。スプーンは使い放題なのだ。

洗い物を増やしてしまってすまない。

 

おなかいっぱい。歩いていると何やら看板が倒れている。

風で倒れたカフェの看板だ。起こす。

無職故の親切であるが、ぐらぐらだからどうせまた倒れるだろう。ほぼ自己満足である。

自転車が大量に倒れているが、それはめんどいので起こさない。勝手なものである。

 

茶店、青山壱番館を訪う。

外観

マホガニーと食器や店員のブラウスの白、照明の黄色みのみの空間が素晴らしい。

色というのは少ない方が美しい。

かっけえ内部

喫煙席 シブい





ただ、もうクリームソーダ950円は払えない。

つらい。

この先食っていける気がしねえよ。

 

また渋谷の街に出る。

ストレス軽減セラピーとかいう眉が唾でべっとべとなチラシを、路上で配っている若い女に話しかけられ、さっと断れずにモゴモゴして、結果キモくなってしまった。

私には希望が無いだけで、ストレスは適度な運動と規則正しい生活習慣のおかげで無いのだ。

 

次に道玄坂の方へ向かう。

円山町



円山町。淫猥すぎて入るのを憚られる街である。とにかくラブホテルが密集しているのだが、私はそのラブホテルを使う感覚をいまいち知らない。

 

道玄坂地蔵尊を見るなどした。

地蔵

最高の店、喜楽


なかなかくたくたになってバスで帰る。

とある停留所にバスが止まった折り、

「しっかり寄せましょう!」

と乗客のお爺さんが、運転手へ向けて大声で叫んだ。

確かに、降りるべき歩道と2歩分くらいバスが遠い。

しかし、しっかり寄せたからと言ってなんなのだ。

運転手は無視した。

それでいい。

 

ただでさえ我が邦のバス運転手は成り手が少なくなっており、バス会社は減便を迫られている。運転手は薄給で長い待機時間に耐えつつも庶民の足としてインフラを維持してくれているのだ…

私は誰よりもバス運転手さんの味方。クレーマーは無視で頑張ってください。応援しております。

 

世の中は我のみを置いて皆去り行く。

あの老人はそう感じていて、自分が分かるのはバスの寄せ方が甘い、ということだけ。

悲しい。

無論、他人事ではなく明日は我が身である。今日渋谷で感じたこと。全て今の自分に無関係な街であった。マジで喜楽ぐらいである。

 

そんな気持ちになり、なぜかMy Little Loverの「 NOW AND THEN 〜失われた時を求めて〜」を聴くなどした。

母がよく車の中でベストアルバムを聴いていたので、私の脳内にマイラバは染み付いている。

 

そして僕は生まれゆく時の中で

悲しさの仕草など忘れてしまうのだろう

風を切るようなスピードの中で

 

悲しさの仕草、というのがいまいちピンと来ないが、スピードの中で何もかも忘れてしまう、というのは改めて今聴くとわかる気がする。