尾見怜:五〇九号分室

小説・映画・音楽の感想

一分のスキも無い超上質映画 PTAは天才だ ポール・トーマス・アンダーソン:ファントム・スレッド

私は恋愛映画が苦手だと自認してますが、よく考えたら、オールタイムベストのファイトクラブ羊たちの沈黙風立ちぬイノセンスもみんなサブプロットが恋愛映画だな、と最近気がつきました。
この映画は恋愛がメインプロットですが本当に素晴らしいよ。万人におすすめ。Amazonレビューとかでは人を選ぶとか書いてあるけど。
この映画の画作りや音楽や演技の上質は誰がどう観たって分かるでしょ!そんじょそこらのいい加減な映画じゃないぞ!PTA様やで!

ソフトペダル踏みっぱなしの抑えたピアノが印象的、音楽担当は、「creep」が気に入らないから爆音のブラッシングを前ふり無しにぶち込んだことでおなじみ、レディオヘッドのやばい方のギター、ジョニー・グリーンウッド!マジでこの人も天才だな!映画の劇伴ほど才能が必要な職業はない(と思う。予想)。最大に貢献したのは俳優陣では無くこの人です。
雰囲気ダメ映画の「ノルウェイの森」をなんだか音楽の力で強引に質を上げてくれたのをおもいだす。下手な俳優の瑕疵をすべてごまかしてくれた。水原希子はいい感じの画と音楽の中に自分をぶっこめていい思い出ができた。


映画の大半が狭い部屋の中でも、退屈にならないのは画面レイアウトが秀逸だから。とにかく画面と演技の情報量が多い。セリフは少なくとも無駄がなく、基本的には演技と演出で物語がドライブする。
まさに映画。これぞ映画。見応えがありすぎて目が離せない映画は久しぶり。豪華だよ。贅沢だよ。
いちいちレイアウトが見事。陳腐な表現だけど絵画のよう。ノーランばりのフィルム撮影。光の作り方が天才的。

支配のパーセンテージを荒療治で調節する話です。がっぷり四つの相撲。実は恋愛映画の皮を被ったバトルものであり、最終的にはやってることが喧嘩稼業じゃないか、ってくらいです。屍だ。
オートクチュールのデザイナーのおじさんと田舎娘が出会って恋していろいろする。そのいろいろが結構特殊。前半は「マイ・フェア・レディ」っすね。
オープニングがとにかく秀逸なのでアマプラで最初10分だけでも観てみたらどうかしら。
朝の時間がパーフェクトじゃないとその日1日が全部狂うってのはよくわかる。朝の時間が一番アウトプット出来るから会話もしたくないみたいな。
ザコン+アーティスト気質+ジジイって三翻でも70符で満貫ですね。金持っててイケメンでもふつう相手しないよなー。
レイノルズの言動がブレブレで一貫していないのがまたアーティストとしてリアル。こういう一貫しないキャラを作るのは怖い。
女子サイドはまさに小田原攻め。長期戦覚悟で手段も選ばず。レイノルズに隠れてアルマの方もヤバさがところどころ噴出してます。
自分でも言ってたけど、こんながっつりイギリスな映画をロサンゼルス出身のPTAが撮るとはね。
子供作ってどうのこうのは、すでにデザイナーとしての旬は終わりってことでしょうな。つまり天才作家としては死んで平凡な父親になった。松本人志じゃないけど、いちばんキレキレだった時は終わりで老醜をさらすのみ。

私は同じ男性としてレイノルズに共感してしまいました。このクソわがままで上から目線のジジイが好きでした。アルマにクソくだらねえサプライズをされて、好みではない料理を作られて、「気を遣って喜んでいるフリをすることは可能だ、しかしそれをする人間になりたくない」なんて、まさに本音中の本音。女とのコミュニケーションは基本つまらんからいらねぇよ、とでも言いたげ。最高ですよ。

そんな愛すべき偏屈マザコンジジイが……なんてこった、恐ろしい。男にとって最も身近に起こり得る悪夢だ。
才能と時間を使ってせっかく作り上げた理想の日常。若い女のいいところだけ抽出し続けられる日々。それが終わってしまうのだ。
"Kiss me, my girl, before I'm sick."は超名ゼリフ。鳥肌が立ちました。その瞬間、悲劇のクライマックス的不穏な劇伴よ。ああ……勝負あった……そんな……と脱力したくなるような。決まり手は寄り切り。

あとこの映画って全くと言っていいほどエロが無い。題材的にはもっと取り入れることができたはずなので、意図的に排除されているといってもいいでしょう。
身体のサイズ測ってる時も姉同伴だし。エロを期待したアルマが肩透かしって感じでちょっと面白い。
PTAはエロに対して淡白な感じがしますね。大仰に取り扱わないというか、ビジネスライクというか。好きでも嫌いでもないよ、みたいな。そこもいい感じです。

こういう人間関係におけるタイマンを描いた作品は大好物です。隠喩が多いと更に良し。この作品が気に入ったら、藤野可織芥川賞受賞作「爪と目」なんかいかがでしょうか。ホラー+タイマンものとして同じカテゴリな気がしないでもない。
ほんとうにいい映画。やっぱPTAは神だよ。

 

 

ファントム・スレッド (字幕版)

ファントム・スレッド (字幕版)

  • 発売日: 2018/11/07
  • メディア: Prime Video
 

 

安藤サクラすげぇなぁ 前半は完璧な映画 後半はスポ根で二度おいしいけど音楽が邪魔してる 武 正晴:百円の恋

太ったブスからシュッとしたボクサーへと変わる様が本編の白眉。人間の変化をセリフで説明せずに体型や表情で表現するってのはまさに役者の仕事でしょう。尊敬します。
この人は底辺っぽい女性の演技がほんとうにうまいわー。っていうかなんでもうまいのか。万引き家族でも抜群でした。天才の類でしょうね。
ヒロイン(ヒーロー)役に本当にクズだった新井浩文。説得力ありますね。不良→クズの色気ってやっぱりあるよね。こういう俳優は貴重だとおもいますので個人的に復帰期待。

シナリオはまあロッキーです。構造的には前半後半で変わるシン・ゴジラも近いかも。前半リアルで後半はファンタジー
安藤サクラの外見の変化をきっかけに映画の種類も演出も変わってます。

 

↓以下悪口です

この「百円の恋」という映画、安藤サクラの熱演もあってかなりの傑作なのですが、音楽が全般的に平凡すぎてチョイと引っかかる。
安藤サクラのボクシング練習シーンがこの映画の肝だったりするのですが、劇伴が15年くらいセンスが古いんですー!!勘弁してくれー!
めちゃめちゃ気になるんです。ダサいんです。なんかディープパープル「Child in Time」と「Black night」を混ぜてみました、みたいなのと無難なシューゲイザーみたいなの2パターンあるのですが、
どっちもほんといまいち。なんでこんなことに? 前者に至ってはただの手抜きだろ。"
似たような展開の「ピンポン」がありますが、この映画の練習シーンはノリに乗っていた時のスーパーカーが担当していて、すさまじくかっこいい。STROBOLIGHTS 。ぶっちゃけスーパーカーが映画を食ってるくらい。窪塚洋介とタメをはる音楽は当時スーパーカーナンバガくらいなもんでしょう。もうトレーニングでどんどん強くなっていくキラキラした高揚感っていうんですか。いいよね。

日本のバンドで映画と上手くコラボした例でピンポン以上を知らない。次点は「愛のむきだし」でのゆら帝か。あれもすごかった。


主人公がどんどん成長していく高揚感をほんとうにかっこいい音楽がアシストしているのですが、「百円の恋」は流さない方がよかったかな……
もちろん元ネタの一つであろう「ロッキー」のトレーニングシーンにかかる劇伴は言わずもがな。ロッキーと言えばこれ!っていうインパクトがあります。
レーニングのシーンは覚醒した主人公が努力しまくる映画のメインディッシュに近い部分。(シン・ゴジラではエヴァの劇判を流用してましたね。多分苦肉の策です。それくらい重要なシーンなのです)ボクシング映画のトレーニングシーンは音楽映画のライブシーンみたいなものですよ。ぬるいロック流しとけばいいか、じゃすまされないところ。
つまり! トレーニングのシーンの劇伴だけは手を抜いてはいけないところだったのよ!!!! 一番おいしいところになんだあの魅力のない劇伴は!
めずらしく文句です。すみませんでした。映画自体は劇伴以外とてもいいと思います。とくに前半の冴えない恋愛の感じがめっちゃすき。

 

百円の恋

百円の恋

 

 

〇映画のエンディングダサいと最後の余韻台無し問題!

この映画のエンディングの曲。嫌いです。
こういうことが起きるので、人生とは愛とはみたいな、知ったような説教系歌詞にしょっぱいロックをのっけたバンドっていい加減死滅してくれませんかね。
若い子にニーズがあるんですか。そうですよね。すみません。でもこの映画10代が観るか? どちらかというと俺みたいなひねくれたおじさんが観る映画じゃない? ちがうか。
でも映画には邪魔でしかないよ……自分のお庭だけでやっててくんないですかね。
映画はそもそも言葉で説明せずに映像や音楽でテーマを語るものです。
ただ、最後のエンディングでガシガシにメッセージがこもった歌(しかもダサい)を歌われると、フルコースの最後のデザートで毒を盛られた気分になるのは私だけ?
この「百円の恋」の音楽はなんか全般的にがっかりしました。役者も監督も罪は無い。むしろすごい。音楽だけがほんとペラい。長編小説をパワポ1枚にまとめてしまったかんじ。ペラ1。
それとも自分の感性がマイナーなのか……おじさんなのか…… このバンドの良さは何回生まれ変わってもわからないとおもいますが。

他にもエンディングが合っていない(と感じた)映画があるぞ! 映画自体はすごい好きなのであくまで曲のチョイスがね……

エクス・マキナ
映画自体はAIをネタにしたミニマルなSFサスペンス。なのにエンディングはサヴェージズというポストパンク。うーん、これに関しては好みかもしれないけど、
かましい曲は終始静かだったこの映画には合っていない。最後までミニマルでいってほしかった。
パンク侍、斬られて候
内容はとにかくパンクで人死にまくりの狂気的な時代劇コメディ。 エンディングはピストルズアナーキー!最高!ぴったり!
とおもったらそのあとに我が邦の若手バンドに変更。謎にエモーショナルなラブバラード。死ぬほどダサいよ!ピストルズの後だとなおさらキッツイ!ピストルズ聴かせてよ!

配給とかスポンサーの兼ね合いもあるのだろうけど、バンドのチョイスが金払って観てる身からすればきっついよ。変なバンド使うならせめてドラマだよ。やめようよ。
映画のエンディングって大事だよ。なるべく監督に選ばせてあげようよ。ジブリの「風立ちぬ」なんて最高だったやん。なんか本当に損だよ。

いかにしてキッチュでダサいおじさん的なものから身をかわすか 長久允:ウィーアーリトルゾンビーズ

一つの作品としても、そしてこれからの邦画への影響力を考慮しても、めちゃめちゃいい映画だったと思います。個人的にはシン・ゴジラ以来の大ヒットやで!
カメラを止めるな!」が一の矢だとしたらこの「ウィーアーリトルゾンビーズ」が二の矢かもしれませんね。あるいはカメ止めが吉田松陰でリトルゾンビーズ高杉晋作。わたしのたとえが下手。


最初はね、電通が二匹目のドジョウ狙って大失敗するんじゃないかと思ってたんですよ。バカにする気まんまんで観に行きました。電通出身のクリエイターである長久允が、まさに電通っぽい、才能の無い芸術大学生の卒業制作のような、偽アート感に満ちたキッチュな画作りと感傷的なストーリー展開をするのだろうな、という公開された情報を見た限りの予測があっているのか。
事前に公開した歌ひとつとってもキッチュ以外のなにものでもないじゃない。

 

でも全然ちがった。傑作だよこれ!


特筆すべきはレイアウトじゃないでしょうか。カメラの置き場所に実相寺イズム(庵野イズム)を感じます。変なところに置くなーと気付いたタイミングから面白くなってきました。いかに動かすか、という映画の命題から離れて、いかにおもしろい構図を作り出すか。そこに快楽を見出すタイプの監督なのだね。
あとファーストシーンでいきなりクレーンを使ったところから、「この映画もしかして金あるのか?」と驚きました。さすが電通様。それからずっと画面はゴージャスでしたね。(もしかしてiphoneだから安くすんでるのかな?だったらすげぇ)
子役の演技はほぼ捨てで、画面構成とカット割りはやめのセリフの切れ味で勝負って感じでしょうか。好みだしかっこいいです。目がチカチカするのでは、と心配だった色彩設計も問題なし。黒レベルも高めで意外とシャープ。キッチュな露悪趣味(クローネンバーグとかリンチとかのデヴィッドイズム)で押し通すのかとも心配しましたが、けっこう爽やかな表現が多くて安心しました。リリィ・シュシュっぽい部分あるなーと思ってたら最後はまんまで笑った。ラブ&ポップもかなり近いか。



音楽は劇中で菊池さんが言った通り。良くも悪くもないとこをちょうどついてる。耳に残るからバズりそうだね、ってだけ。だがそれがこの映画端的に表してる。絶賛でも批判でもないニュートラル。希望は無いけど絶望してんのもダセェってこと。


【公式MV】WE ARE LITTLE ZOMBIES (映画『ウィーアーリトルゾンビーズ』テーマ曲)


悪いところもあります。前半30分笑いどころをふんだんに用意してくれているのですが、ことごとくすべってるような気がするのはわたしだけでしょうか。センスの問題なのでしょうがないんですが。つかみは設定の時点で大丈夫なのでそこまでふざけなくてもよかったのでは、と感じました。ちょっと最初の方は全カット笑いを取ろうとしてる感じが、必死感が出ててその……うーん。

あとダイアログが決してうまい訳では無い。監督は言葉の人ではなく、あくまで映像の人ですね。

あと唐突なホームレスのミュージカルシーン。ちょっと意味不明でした。バンドやる理由を無理矢理作った感じが……
細かいところでは、SHINEを死ねに読み間違えるってネタ。

コナンでもやってたし、実際のいじめでもあったっぽいね。パクったな貴様!とは言わないけど、ネットでもこすられすぎて新鮮味がないのは事実。監督は実体験だって言ってるけどどうなんでしょ。うーん。


それを補って余りある映像のセンスの良さ!ここまで盛りだくさんでやられると、どんだけ金あったの?と勘繰ってしまう程にいい。ビデオコンテを作ったそうらしいんですがどの程度作りこんだのかぜひ見てみたい。すごいんだよ!ほんと!

あと大筋で、ことごとくありがちな大衆向け映画の方向へ行くとフェイント入れてから華麗にかわしているのがすばらしい。シン・ゴジラで恋愛要素を外した庵野イズムをここでも感じる。でも本作は作中でやってる。センタークエスチョンとして「ヒカリは感情をとりもどすのか?」があるけども、安易に仲間との友情に目覚めて取り戻すとか、音楽の力で取り戻す、みたいなパターンを選ばなかったのがすごくいい。中島セナは幽霊で男三人の母親の集合体でした、なんてオチも高速で「ダッサ」の一言でぶったぎるのよ。
余談ですが本作を観たエヴァの呪縛から逃れられない30代男子は、次なる綾波レイ(アスカも)兼自分を叱ってくれる母の代わりとして、中島セナを発見するであろう。みんなにやにやしている気がしますね。俺のことだ。キモいだろ。

また電通が34歳の監督に撮らせたことがすごい。あの会社のどこをどうやったらこの映画ができるんだろ?どの層を狙って資金集めしたのか見当がつかない。「カメ止め」ありきかしら。はじめから海外の賞ねらいかも。
アート思考のシネフィルはこの映画嫌いだろうね。極端にアヴァンギャルドなことはやっていないから。バランスのとり方が上手いのであって、それをうらやましいと思うか、しゃらくさいと思うかでこの映画の感想は変わりうる。わたしは最初しゃらくさいとおもって斜に構えてました。でも観おわった今は素直にシャッポを脱ぎます。ここまでいろいろやられたらねぇ。すごいよ。


電通に嫌悪感あることが既にダサいのか。それとも電通はダサいままでこの映画だけが特別なのか。「鬼十則」とかダサすぎておもしろかったのに変わったのか電通は。化石みたいな。まだ汐留には過労死寸前の電通マンが蠢いているのだろうか。

長久允という人は髪を三つ編みにしたり今風のセルフブランディングを行える人で、それが恥ずかしくないみたい。(自意識がいい意味で無い。とても健康的だと思う)
この点から言っても既存の映画人からは新しく見える。この「新しい感じ」が何よりも大事で、それが投資したくなるトリガーになるか否かは自分はお金ないのでわかんない。とにかく斜に構えるより全然素敵。宮藤官九郎がシーバスリーガルの広告でダサいおじさんになってしまった(宮藤官九郎が響くのは同じおじさん。NHKに起用されたことで顕著)ことがショックな人はこれを機に長久さんに乗り換えては。


ともかく本作が「カメラを止めるな!」レベルにヒットすれば、邦画の状況が変わると思います。お金持っているおじさんたちが「カメラを止めるな!」で気づいて、「ウィーアーリトルゾンビーズ」で確信に至る。それはアヴァンギャルドなアート映画には出来ないこと。キッチュゆえの勝利です。(アヴァンギャルドは負けの美学なのでそれはそれでよろしい)ただキッチュになりすぎずに華麗に身をかわしている。その軽いフットワークこそがこの映画の魅力なのかもしれないですね。

質はどうあれ、これから彼のような若手クリエイターにお金がどどっと入ってくるかもしれん。ということです。スタージョンの法則でいえば、100作あれば5作は傑作が出来るはず。電通の人はカメ止めレベルを期待しないで我慢強く投資し続けてください。(無責任)
蜷川実花小栗旬使って太宰を撮らせるなんておじさんの発想そのもの。ダサいのもいい加減にしなさい。
最近のガンダムゴジラグリッドマンエヴァウルトラマン等のおじさん発案拡大再生産路線、日本文化のどんづまり感がすごい。売れないものが作れなくなってしまったということか。
資本主義おじさんを無視して売れないものを平気な顔して作る押井守大先生、助けてください。資本主義おじさんに負けないおじさんである小島武夫、がんばれ!
そして若い長久監督、超がんばれ!応援してます!


映画『ウィーアーリトルゾンビーズ』予告編(2019年6月14日全国公開)

 

 ただ、これが一番新しいのかと言うと疑問だよなぁ。

自分がそうだから分かるけど、この映画は30代のおじさんがものすごく正直に作った私小説的な作品であって90年代に少年だった男にのみ響くものが少なからずある。

今の少年たちはゾンビどころかもっと得体のしれないかっこいい化け物になってるかもよ。

リンチ作品にしかないものが確実にあるんだけど、それが何かはわからないの デヴィッド・リンチ:ブルーベルベット

若い男の子が息子と夫を人質に取られているメンヘラエロおばさんとエロいことになってしまい、最終的に事件を解決する話です。
リンチの中ではかなり観やすい部類の作品だとおもう。ストーリーを普通に追っていけばわかる造りになってます。時系列シャッフルも無し。


そんな話なのですが、リンチ節というか、名状しがたい不安感をあおる画作り、音楽が魅力的過ぎるせいで、正直ストーリーはどうでもいいというか……内容は何でもいいから一生観てたいというか……

 

オープニングは何回観ても苦手です。苦手というのは嫌いという意味ではないです。

ただ虫が苦手で……絶対映画館で観たくない。
オープニングに虫が出てくるのはワイルド・バンチも同類。

やめて。
あとローラ・ダーンの顔も虫と同じくらい苦手です……
そのかわりイザベラ・ロッセリーニのはエロい顔、身体、さいこうです。

ドンタッチミー!と叫ぶシーンは若干ベッキーです。


あとは何といってもデニス・ホッパー

フランクって名前のサイコ野郎は、村上龍「インザミソスープ」にも出てきたな。

この映画のせいで再読したら顔がデニスホッパーになっちゃったよ。

洋画の悪役としては「レオン」のスタンスフィールド、「ブレードランナー」のロイ、その次に好き。

 

映画史上一番笑えるレイプシーンがあります。
撮りながら監督も笑ってたとか。
無理矢理やられている女性には申し訳ないけども、セックスというのは性欲抜きでみてみると大体滑稽だと思います。
男の必死さもなんか笑える。「人のセックスを笑うな」って言われても無理だょ……

 

やばい奴ら、チンピラの集団、というのは映画に出てきがちですが、この映画のチンピラたちは今まで見た映画の中で断トツで怖いです。

なにするかわからない。会話が通じない感じ。一般人との価値観の差。コミュニケーションの内容が違う。これはなんかもう、この映画独特なものです。

「こいつらなんなんだよwww」って笑って観れますが、絶対に会いたくない。怖すぎる。


そういや画面サイズがシネスコっすね。シネスコは車内のシーンが似合うね。


歌のシーンがいくつかあるのですが、ほんととんでもなくイイです!
リンチの作品は歌もすばらしい。自分は映画には歌とダンスのシーンが欲しいタイプです。

ワイルドアットハートのニコラスケイジは笑える。

マルホランドドライブの泣き女はすさまじい名シーン。


Dorothy's first song in Blue Velvet

 


ララランドみたいにプロじゃない俳優が歌うと笑えない出来になりますが。

(なんであの映画ジャズジャズうるさいのに劇中でジャズをやらないのだろうか。ピアノもダンスもひどいし。その癖にテイクオンミ―馬鹿にしてるし。クソ映画)

それに対してダンサーインザダークのビョークはやっぱ歌唱力といい表現力といいすごいよね。音楽への愛に溢れている。

 

感想ブログ書いといて何ですが、マジでリンチの魅力ってなんなんだろう……と考え込んでしまいます。
難解だから好き、という厨二感も無きにしもあらずなのですが、わけのわからないものを観たいという思いが強いのかもしれません。
わからないものはわからないままにしとくのが私流です。

わけわかんないのに、わけわかる映画より面白い気がする。
こういうわからない映画に出る俳優ってどういう気持ちなんでしょうね。

押井守が天才と認めた監督がリドリー・スコットとリンチですが、リンチの頭の中はどうなってるかマジでわからん、みたいなこと言ってましたね。
天才というか価値観があまりに我々凡人とかけ離れているのでしょう。頭のどこから出て来たの?ってシナリオばっかだよ。

どうやら瞑想で得たアイディアを使っているらしいのですが。考察はしません。

生理的嫌悪感、恐怖、性描写、暴力、不安などの感情とコンシャスな方はぜひ観てみよう。
ゾワゾワ来ますよん。

やっべー書いてて観たくなってきた。
今から観よう。(まじでなんでだろう)

 

 

ダメ人間の見本市 筒井康隆:家族八景

突然ですが、わたしはダメな人間を見たり聞いたりすることが好きです。

ダメ人間のことを考えるだけでわくわくします。
自分がダメなのでダメな人がいると共感します。
わたしのダメな人間のなかで好みのタイプは、自分同じタイプである怠惰で人間ぎらいな性悪な人です。
そういう人が創作作品に出てくるとこの上なく共感しますし、酷いことをしたり言ったりすると笑ってしまいます。
たいてい、悪役だったりします。
逆に嫌いなタイプは、元気が良くて、リーダーシップがあり、みんなの人気者的な主人公タイプです。
もしそんな人がいて、この作品を未読だったらぜひ読んでみてほしいのです。

筒井康隆はダメな人を書くのがじょうずです。

この「家族八景」は、心の中を読むことができる「テレパス」の超能力を持った火田七瀬という女中さんが主人公の短編集です。
続編に「七瀬ふたたび」、「エディプスの恋人」があり、「七瀬三部作」なんてカテゴライズされてます。
この作品で直木賞を逃して、ずっと文句たらたらなのが面白いですね。よほど自信あったのでしょう。
七瀬は様々な家庭に女中として派遣されては、トラブルに見舞われる不幸体質の女の子です。
この作品の面白いところは、テレパスを利用して得をするのではなく、七瀬は徹底的に損をし続けることです。
七瀬三部作は、テレパスと言う能力のせいで七瀬が酷い目に遭い続けるお話なのです。

肝は、七瀬が登場人物の思考をすべて把握することによって、人間の醜い本音に苦悩しまくるところです。
主人公はおまけにとびきりの美人という設定なので、まあまあの確率で男性が七瀬に対して性的な妄想をします。それがいやでも聞こえてしまう。
七瀬は男と相対する時、常にセクハラを受けている状況なのです。(そこがまたいいのです)

作中では括弧に囲まれてキャラクターの本音が七瀬に伝わってしまいます。

セリフとは裏腹にすさまじい思考をしている場合がほとんどです。


下記は些細なミスを犯した七瀬に対しての雇い主の一言。

 

「あら。もっと小さなウイスキー・グラスがなかったかしら。それ、シャンパン・グラスよ。」(白痴。田舎者。)


理不尽な罵詈雑言と言うのはおもしろいものです。

七瀬も慣れてしまっていて、この程度ならもうショックを受けないのがまた健気。

人の本音と言うのは醜悪この上ない。

滑稽と言うレベルを超えて嫌悪感をおぼえるのです。

それが楽しいのだからじぶんでもようわからん。
男性の本音は気持ち悪いですが、女性の本音もえげつない。

七瀬が夫の歓心をかって嫉妬の対象になるパターンでは、とてつもなく邪悪な罵倒をくらうのです。
外面は優しかったりするので、本当に七瀬がかわいそうになるのです。。。それが楽しいのだからじぶんでもようわからん。

こういう趣味の悪い娯楽はなんというか。レディコミとか。デビルマンとかエヴァとか。人間の暗部を喜ぶ性癖の人って多いのでしょうね。
海外の映画では結構見かける気がする。ラースフォントリアーとか、ミヒャエルハネケとか。

ラスト、七瀬はあるキャラの怨念に近い内容の心の声を怯えながら聴き続けます。

ひっでー終わり方……と言う感想。でもおもしろい。

内容が本当にえぐいのだけでも、良くも悪くもキャラクターが昭和的ステレオタイプなので令和になってしまった今、どこかファンタジックかつ滑稽で、それもまた新鮮なのでございます。

醜悪な人間フェチはぜひ、読んでみてください。

 

 

家族八景 (新潮文庫)

家族八景 (新潮文庫)

 

 

ミニマルなのはいいことだ もっと日本に来てください The XX:xx

 

ポスト・ポップ、インディー・ポップ、ポスト・ポップ、どれが正しいのかわからないけど、The XXは本当にいいバンドです。
音楽のジャンル分けってようわからん。

雑誌の編集者が勝手に決めている気がしてならない。

編成が独特で、ツインボーカルの男女がそれぞれギターとベースを担当。あとはDJによるリズムマシン(リズムボックス?)を使ったビート。
最低限の音数で作られた、星新一の短編のような味わいのアルバムでござんす。一曲一曲も短め。

当然のことながらシンプルです。ボーカルが強いかと問われれば、二人ともささやくように歌います。
ギターもベースも変なことをせず、ギターは基本リフのみで単音。

主にへんなことをしているのは、リズムマシンです。
これを聴いて合う人はぜひアルバムを買ってほしい。

 


The XX Intro long version]

 

最小限の音で気持ちのいいことができるんですねぇ。日本では人気出ないタイプなのかなぁ……
いまや訳の分からない世界に行ってしまったRadioheadColdplayよりよっぽどわかりやすくていいとおもうのですが。
確かにルックスは微妙ですよ。地味だし暗いよ。
でもこのアルバムの#1~4の上位打線はほんと凄いんだよー!
ちゃんとアルバム単位で聞けば最高なんだよー!

ミニマリストブームだしThe XXブーム来い!

自分はコーラスを男女のオクターブユニゾンでやるのがどうにも好きらしい。他にはスーパーカーとか。

 

 

xx  [輸入盤CD](YT031CD)

xx [輸入盤CD](YT031CD)

 

 

天才作家の渾身の一撃 町田康:告白

 

平成に刊行された小説の中でも間違いなくトップ10に入るであろう大傑作。

谷崎潤一郎賞受賞。「朝日新聞平成の三十冊」で3位。

分厚いからみんな読まないのかなぁ。超面白いのに。好きでたまらない。
本作は日本の近代小説の金字塔です。ゼロ年代海辺のカフカじゃなく今作を中心に語られるべきだった。

ユーモラスでひらがなを多用し簡易な単語ばかりの河内弁を使ったセリフ回しと、作者のツッコミが光る地の文とのグルーブはどのページをめくっても気持ちがいい。
読んだ当時ぶったまげました。筒井康隆以上にふざけてて崩壊寸前。これは「純文学」なのです。文章を味わうことができる。これが美味美味。
ふざけてて笑えるのに、エンタメとしても超優秀なのです。これがまた。これほんとうにとんでもない傑作ですよ。「文学」なのにエンタメ小説が太刀打ちできないほど面白いんだから。
河内音頭のスタンダートナンバーである「河内十人切り」恋愛+ギャンブル+犯罪+ファンタジー要素もあり、総合小説といっていいのでは。
ここ最近はやりの大どんでん返しだったり、伏線貼りまくりのテクニカルな構造を取っていません。それもまた硬派ですばらしいのです。アイディア勝負ではない。プロットに頼らない。超一流作家の横綱相撲です。
ちなみに文壇文学賞の4大タイトルともいわれる芥川賞谷崎潤一郎賞野間文芸賞川端康成賞すべての受賞者は大江健三郎、大庭みな子、河野多恵子丸谷才一、そして町田康です。存命なのは大江さんと町田さんだけですね。なにが言いたいかと言うと、ほんとうにすごい作家ということ。その凄みが一番感じられる、代表作がこの「告白」なわけでございまする。

いくら褒めても褒め足りないのでここらへんでやめます。

以下あらすじ

 

時は明治。

河内の水分というところに住む、城戸熊太郎というどうしようもない農民が主人公です。その熊太郎がまあ不器用で怠惰。

あかんではないか。


ろくでもない奴なのですが、それは農村での規範から照らした場合のこと。この時代には珍しく、思弁的、内省的な人間だったのです。
彼は生きづらさを感じています。彼の中には伝えたいことがたくさんある。抽象的で画一的な表現では伝えきれない複雑な思いが、胸中でぐるぐるしている。
熊太郎の不幸は、それを他人に伝える「言葉」を持っていなかったのです。
河内弁を使う周囲の人間は良く言えば無邪気、悪く言えばぶっきらぼうなアホです。人一倍繊細な熊太郎は彼らとうまくやっていけません。
だって、使っている言語が、熊太郎の心理を表現するには足りなかった。町田康は、知らない言語の国に迷い込んだ旅人のよう、と形容しています。
それが彼の人生を、見れば最高に滑稽で悲惨なものにする。

熊太郎はこの小説の中で、様々な体験をします。神懸った神秘体験、賭博、金銭トラブル、恋愛、盆踊り、婚姻、暴力沙汰。
周囲との意思疎通がうまくない熊太郎は、そこでやりきれない思いをかかえながらも懸命にがんばるのです。めっちゃ傷つきながらも懸命に。
しかし35歳になったある日、限界が訪れます。金をだまし取られ、最愛の嫁も寝とられた。さらに集団でボコられ半殺しの憂き目にあった熊太郎。
相手は熊太郎をアホと決めつけて何かと迫害してくる金持ちのぼんである松永熊次郎。
唯一の弟分である弥五郎と決死の復讐へと向かいます。田畑を売り払い、武器を買い込み、肉親に別れを告げる。

かの有名な、「河内十人切り」でございます。
熊太郎と弥五郎による、松永一家皆殺しです。

その時熊太郎は獅子舞の面をかぶります。獅子舞の内側の暗闇の世界と、まだ生まれて間もない赤子でさえ容赦なく切り捨てている現実世界。その半々を熊太郎は見ています。
自分の脳内と現実には暗闇が挟まっていて、本当の気持ちだとか、やる気だとか、恋する気持ちだとかが、その暗闇のようなものでさえぎられてきた。
コミュ障、というには重すぎる熊太郎の人生はそれから絶望的な様相。
大量殺戮を終えた後は山に潜むふたり。周囲は警官に囲まれている。
熊太郎は一世一代の「告白」を、弥五郎に、神様に、そして自分自身に試みます。今まで自分が何を感じて生きてきたか。言葉を懸命に探すのです。
その最後の「告白」がほんとうにやりきれない。今まで熊太郎と一緒に苦しんできた読者からしたらもうたまらない。訳の分からぬ感情でいっぱいになる。
たった一言に集約されるのです。その後、熊太郎は自害します。

三島川端の美しい文章もいいけど、ぎりぎりを攻めた壊れる寸前のポストアポカリプス的文章、かつここまでのカタルシスをもたらすプロット。

湊かなえのほうじゃないよ。映画の出来が良すぎたからこっちが目立っているけど、小説で「告白」といえば町田康のほうでまちがいない。

思い入れが強すぎていつまでも文章がまとまらないっす。

ぜひ読んでみてください。

 

告白 (中公文庫)

告白 (中公文庫)