第4阿呆特急

一人旅をします。

平塚② 海 厚木の家系ラーメン 友人

子供の頃毎日見ていた風景


去る十二月二十九日のこと。姉と
坂元裕二脚本のドラマ「カルテット」の1話を見た。

これほど凄まじい出来の1話は見たことなかった。

最後の歌が終わった際に拍手してしまった。

セリフのキレとセンスがえげつない。笑いを入れるタイミングが絶妙。しかも寒くない。

こんな仕事ができたら生涯の自慢になるだろう。

強烈に感動した。

 

その日の午後八時に父は病院で亡くなった。

看取ったのは母のみで、40分後に私と姉はタクシーで病院に駆けつけた。

安らかな顔をしていた。

なんとなく撮った雲

 

その後は忙しく、病院から遺体を搬出したり葬儀屋との調整などをなんだかんだで終えた。

 

私は「天」と言う麻雀漫画の最期、赤木しげるが死ぬ際のセリフに影響を多分に受けているので、人間というのは脳が動かなければもう終わりだと思っている。

私の父は脳梗塞で倒れた時点でもう人間としては終わっていて、肉体的にようやっと終わったのが昨日と言うことだ。
さながらゾンビのようなちぐはぐな状態は、かつての姿を愛する者にストレスを植え付ける。

人間性を失って生きながらえていたその状態が終わったことを喜ばしく思う。これは言いづらいが本当に本音だ。


今私は父親と話したことを思い出している。
麻雀やサッカーなどのスポーツ、その辺のお互い興味が共通することをいつも散発的に話していただけである。
何をしても絶対に怒らない人だった。そしてまあまあイヤだが私は顔がどんどん父に似てきている。
父は、おそらくほっとけば生活力が無くすぐ生活は破綻しただろう。母のかじ取りの元生存できていた男だった。「ていねいな暮らし」の逆というか、母の管理の下でも体は病気でいっぱいだった。
一方私は割と、ちょっとでも具合が悪いとか、どこかが痛いとか、そういう状態が心底苦手なので、結構健康に対して気を遣って生きている。

共通する点としては、人生の大半が苦手だったところだ。
仕事だったり、家族だったり、すべての人間関係だったり。勉強はなぜかできたりする。

ただそういった苦手なところから父は逃げなかった。時代に許されず逃げきれなかったのかもしれない。

ただその一点を持って尊敬に値する。

彼は逃げない代わりに心を麻痺させるのを選んだ気がする。

おそらくだが、私も家族を作ることを周囲に外堀を埋められ強要された場合、心を麻痺させるか堀を無理やり突破して逃避するかの二択で迷うだろう。

私は今んとこ逃げっぱなしだ。多分これは変わらない。

「隠れて生きよ」はエピクロスの言葉だったか。エピクロスが正しいことを願う。

 

 

私はそういったものをサボっている代わりに、死ぬまでに何とかして面白いもの、美しいものを作らないといけない。今んとこまったく作れていない。

このブログも読み直す気が起きないくらいくだらない文章をただ連ねている。酷い文章は良い文章の入り口らしいが、私は入り口で立ち止まっている気がしてならない。

 

ショパンのバラード1番を辻井伸行さんが弾いているのを聞くと、いやもうほんとに素晴らしいなと心から思う。

これからの私の人生全部より、この1曲の方が価値があると思ってしまう。

ビジネスやら貯金やらなんやら数字を作るより、こういう星のように永遠に輝く芸術を作らなきゃいけない。

それは偏った価値観だよと言う人もいるだろうが、私はその偏った価値観から離れることができないから苦しいのだ。

資本主義的な数字とか恋愛とか大きな感情とかそういったヌメヌメしたものから離れなくてはいけない。空っぽの身体ひとつで軽やかにいなければいけない。目標を全て捨て去らなければいけない。時間があり、多少の金もあり、健康であることを祝わなければいけない。

そして自分の美意識に従って死ぬことに挑戦しなければならない。

と、父の死に際して思った。

 

年が明け一月五日。

地元の友人が気を利かせてドライブに連れ出してくれた。

彼はMといって、私とはもう25年くらいの付き合いである。

こういう時に家族以外で時間を作ってくれるのはありがたい。

相模湾



午前中の平塚の海は太陽がこっちを照らしてくれる。

風もなく暖かい。何よりキラキラしていて希望に満ちた美しさである。

波の音も私の逝ったメンタルを激烈に慰撫してくれる。

こんなにみられているとは思うまい

あとあのサーファーは全然波に乗れていない。乗ってほしい。

しばらくすると乗った。よかった。



「私は海をだきしめていたい」と言う坂口安吾の短編小説を思い出した。

若い頃に読んでから、ずっとなんだったんだろう、と考えていた小説である。

ただ、今ならなんとなくわかる気がする。ウソだ。まだちっともわからん。

去年の9月あたりから、性欲に振り回されていた自分が海を見ていることに、何らかのつながりを感じる。

あの小説の主人公は海を女性に例えて抱きしめたいとかほざいていた。何言ってんだ。

私の方は若干25歳の女性のノースリーブの脇の下から放たれるフェロモンに脳みそをやられてしまって、混乱し、そんな自分を嫌悪し、退職を決め、親父も死に、今このような醜態で落ち込み切っている。
数少ない友人にも気を使われて、情けない限りである。

 

車を飛ばして、Mが一度行きたかったらしい厚木の家系ラーメン「源絆家(げんきや)」を訪う

げんきや

私は家系はそこまで得意ではないが、実家の薄味の飯に嫌気がさしていたのもあって、味が濃くて大層美味かった。

 

私はMのおかげで、海の音とラーメンの塩で心を少し癒した。

 

 

東京に戻った後も、新宿で6歳(ほぼ記憶にないくらい昔)くらいから付き合いのある友人Hと会って、会社を無様に辞める話や父が亡くなった話などを取り留めなくした。


またHは個人事業主としてのノウハウを持っているので、いくつか気になることを相談した。こちらもとても癒されたし、久しぶりに話せてよかった。

 

私の愚かなクソ話をちゃんと時間を作って聞いてくれる友人はMとHを含めて5名ほど居る。


その5名は私の最後に残った縁だ。

社会人3年目あたりの私などはかなり嫌な性格をしていて、そこで縁が切れていても不思議ではないと思うのだが、我慢して付き合ってくれた猛者たちである。

 

友は大事にしていきたいとともに、このブログと同じように虚飾一切抜きでの付き合いを続けたいものである。

新宿にて友人の一人であるH君  ちなみにかなり寒いのに薄着