昨晩は退職撤回を迫るしつこい上司の引き止めに心をすり減らされ、大いに消費し消耗した。彼は最低最悪の人間というわけではないのだが、本当に性格が合わない。自分の感性や美意識と真逆の人間だ。
泣き落としのようなことをされても困るだけなのである。すり減った心を癒すべく、また近所の散歩の日々だ。
さて、永福町である。
「住んでる方南町から近場しか行ってないやんけ」と言うツッコミがそろそろ出そう。まぁほんとなのでしょうがない。
永福町には友人が住んでいて、数年前よく行ったものだが、最近はとんとご無沙汰だ。その友人は今シンガポールに住んでいて、時々日本に帰ってくるときに寿司などを食べに行ったりしている。彼が言うにはシンガポールにはうまい魚がないらしい。特に新潟出身の奥さんは、魚が美味しくないことで大層苦しんでいる。いくら裕福に暮らしていてもままならない事はあるのだ。私は昨日居酒屋チェーンで1000円のおまかせ寿司ランチを食べたが、正直価格の割にうますぎた。東京ははっきり言って、食事の質と価格帯のバランスに関しては異常である。クオリティーが高すぎる。外国人観光客に居酒屋ランチの存在がばれてしまったらどうなるんだろうか。
そんな無駄な心配をしながら、今日も今日とて私は歩くのである。
しかし、あてのない散歩は良い。
昨日腐った泥のような感情をぶつけられ続けた心が、冷たい空気に洗われるようである。
街路樹には、もうすでに葉がない。トウカエデと言うらしい。
木に関してもそうだが、冬は人の本音も丸裸にするようだ。
この旅日記は、本当に私の心そのまんまを書き連ねている。
思えば、20代は虚飾にまみれた人生だった。
偽りの自分を自分だと信じていた。
丸の内でオーダーメイドのスーツを着て毎日深夜まで働いてたのだ。今はユニクロさえ高いと感じているのに、人間本当にわからないものである。
私は自分を偽る、飾るという行為は、もう金輪際やめようと思っている。
今、通りがかりの個別指導の塾の看板に、『生徒の人生を一生応援する』と書いてあったが、絶対に嘘である。基本資本主義の国の看板には偽りしかない。
真に受ける人はいないにしてもそういうぶち上げるようなことを言うのはやめようと思う。このブログを読んでいる人も、自分が実は傷ついていたり、辛かったりした時は周りの人に恥ずかしいと思うかもしれないけど、そのまんま言ったほうがいい。自分を飾る、誤魔化すと言う事はまったくの無駄である。
さあ永福町です。
まず、今日の永福町の特徴としては、非常にまぶしい。
なんだか低い建物が多く、太陽から身を隠す方法がなかなかない。
寺があったのでなんの考えもなしに入る。
すごい墓参りしやすいシステムが整っている。この行き届いた感じ好きである。檀家への心配りを感じる。
なんだかいい寺だった。ここなら墓を作りたい。後で名前が知りたい。(大圓寺という曹洞宗のお寺でした。やはり仏教なら禅宗が好みだ。)
歩いていると、とある施設の壁に、「すべての人に歩ける喜びを」と書いてある。
おそらく病院なのか、リハビリ施設なのかちょっとよくわからないけど、その文字が気になった。
しつこいようだが、そういえば私は歩けるのである。
私は歩けるし食える。読み書きもいける。それだけで正直恵まれまくってる。
ここ数年大きな病気もしていない。メンタルがどハマりする前に、ちゃんと会社の退職調整をできる撤退戦が得意な名将である。
金もないわけではないし、家族も友人もいないわけではない。それを喜ばなくてはならない。
やったよね。
外観にピンときたので、古本屋グランマーズという店に寄る。
奥でカフェもやっているらしいが、今日はやっていないらしかった。
店主曰くもう既に6年もここでやっている。
私は子供の頃好きだった寺村輝夫の絵本を450円で買った。
この店、メインは児童書であるが、新書なども扱っている。
その新書の棚に『心の折れない部下の育て方』というものがあった。私が買って責任もって始末し、勘違いした上司をこれ以上増やさないようにする、と言う義憤に駆られたが、やめておいた。
店主におまけでもらったミントキャンディーを一つ口に入れた。
もうすぐ昼食を食いたいというのに、でっかいアメを舐めはじめてしまった。口の中のキャンディーが溶けるまで、私は永福町の住宅街をフラフラすることにした。運命的にうまい飯屋に出会うことを祈る。
しかし歩いていると暑い。私はマフラーを取った。
近くにある北西さんの家などは、これでもかと家中の布団という布団を外に干している。そのくらい天気が良いのだ。
口の中のミントキャンディーは一向になくならない。
家ばかりで飯屋がない。
このままでは昼飯が食えない。腹はとうに空いている。暑い。
ただ口の中のキャンディーをそこら辺に吐き捨てるというのはやりたくない。
ということで思いついた。
喫茶店でコーヒーを使って溶かそう。
私は最寄りの喫茶店を調べ、飛び込むことにした。
パブ&喫茶みやけだ。
近所の年配の方の憩いの場なのだろう。
年配の常連が同年代の女性店員とずっとしゃべりっぱなしだ。
テレビでは森山良子がなにか話している。
それを聴きながら常連が森山家について話している。
奥の席に1人で座る。
隣の席にキレイなグレイヘアのボブカットのおばあ様がいる。
しかもなんとメガネをかけている。鼻が高く横顔がとてもキレイだ。
正直めちゃくちゃ好きだ。
クールかつかわいい。旦那さんが心底羨ましい。しかし私はボブの女性にはほんと目がない。
ミントキャンディーを出された茶を使いつつ噛み砕く。中にキャラメルが入っている。もう直ぐ飯を食うというのに歯に挟まる。もはや存在が忌々しくなってきた。
カレイの煮付けを頼んだ。
女性店員にカレイの子供入ってもいい?と言われた。
いいと言ってしまった。
そうしたらほぼカレイの身は少なく、卵だらけで来てしまった。
身の部分は当たり前のように美味い。卵もご飯にぴったりである。
私がガツガツと飯を食っていると、
明日来れませんので、良いお年を、とボブカットの夫婦が店の人に挨拶していた。
この夫婦は超常連で、おそらく毎日のように来ているのだ。
なんだか邪魔してしまったかもしれない。
テレビでは森山良子が「涙そうそう」をラテン語バージョンで歌うのはすごく大変だったといっている。
なぜそんなことをするのか、という疑問は置いといて、やはり芸能人は挑戦する気概がすごいな、と思った。
デザートのりんごがしっとりしていて美味い。わたしは大満足して店を出た。
さて、腹も膨れたのでまた歩き出す。
先ほどの店でもそうだが、私は結局どこまでいっても余所者でありたいのだなということがわかった。
なにせ年末の挨拶をしなければいけない人が1人もいない。年賀状も皆無。そしてそれが楽だと思ってしまっている。
根無し草気質であると言えるだろう。
そして、根のない草が強いはずもない。タンブルウィードのように、コロコロと滑稽に転がって生きていきたいものである。
歩いていると唐突に現れた『季節の中でギャラリー』。
見た目は完全に民家だ。中がギャラリーになっていて絵がいくつか見れるらしかった。入場無料である。しかし火曜日はやっていなかった。
残念。また明日来るほどの熱量は無いが、とても入りたかった。
道路沿いの生け垣にはおそらくだが、椿の花。ただ隣に菓子パンのゴミが突っ込んである。世の中美しいものだけではない、ということか。私はそのゴミを持ち帰り、世の中を少し美しくした。