父が危篤のため、我が実家の周りをぶらぶらすることになる。
神奈川県平塚市の真ん中あたり。私は大学を卒業する22歳までここで暮らした。
ほとんどの移動は自転車だった。風景は大して変わっておらず、重層的に蘇る記憶が多すぎる。
東京と違って地元は静かだ。より無音に近い。
地球上で一番やかましいのは人間の若者であるというのが正しいか。
この静かさには本当にものを考えながら歩くのにちょうど良い。
どんどん考えが整理されていく気がする。
やはり東京とネットの空間だけは日本じゃない気がしてきた。
「日本」とは大都市じゃない郊外のことをさす言葉である。
そして日本と東京は違う文化圏だ。
晴れているのに大雨が降りだした。カメラが濡れてしまう。
なんだか爽快な気分である。恵みの雨というような祝福のような気がして。青空をバックに大雨が降ってる。私はそのチグハグな美しさを愛する。
寝起きは憂鬱だが、昼間散歩しているときの私はとても幸福だ。
昨晩母と相談して父親の葬儀場を決めた。
もはやいつ亡くなるかわからない。
今朝のメンタルはひどかったが、昼過ぎてからはやはり落ち着いた。
母も姉も運良く家にいないタイミングで実家で1人になったので、私はメンタルは何も刺激されることなく回復することができた。
どこにいても1人でいるのが1番素晴らしい。
007の「ロシアより愛をこめて」を観た。
ボンドはタフでうらやましい。ボンドのようになりたい。
エヴァの音楽やってた鷲津さんがこの映画の音楽を「DECISIVE BATTLE」で丸パクっていることに気づく。似すぎていて酷い。
鷺津さんはすごいなぁ~、とサントラ聴きながら心から思っていた中学生時代の私に教えてやりたい。
父のことや会社のことが一通り落ち着いたら、私は旅に出る。私にはそれが合っている。家族を持つこともない。仕事を持つこともない。それで構わないと思っている。おそらくそのどちらを持ったとしても、私は精神の病にかかるだろう。そういう人間がいるのだ。そしてそういう人間は多く苦しんでいるのだというか、精神病にかかっている人間みんながほぼそうなんじゃないか。社会のフォーマットに過剰適応した結果病んでしまっている。私はそういう人たちに向けて、このブログを書いている。適応しなくて大丈夫だよ、と言ってあげたい。私自身全然大丈夫では無いのだがどうか少しでも仲間たちに苦しんで欲しくないのである。集団が嫌いで1人で生きる才能がない人たちよ、どれだけ我慢したって無理なものは無理だ。でも何とか工夫すれば生きていける。嫌な事はするりとかわして、日本に生まれた幸せを享受しつつ、病まないことを目標に生きていこうじゃないか。
サクラ書店高村店に向かう。
私はもう20年以上この書店に通っている。誇張無しに地元に戻ってきたら必ず行くと言っても過言ではない。人生で1番通って、金を落としている書店である。ただ別にどこがいいとかそういうことではない。私にとっての書店の原型なのだ。
まっすぐ向かったのは旅行本コーナーだった。
これからとりあえず行くであろうところの本をなんとなく眺める。取り急ぎ香川県だろう。本場の讃岐うどんを食わずして死ねない。実はもう店のあたりはつけてある。さくっと飛行機で行ってうどんを食いまくってさくっと帰る。そんな動きを想定している。乞うご期待。
30年もこの地蔵の存在を無視して生きてきた。
その償いとして写真を初めて今日撮った。近くにマクドナルドとファミレスがあり、CDレンタルショップもある。ここ山下団地周辺は我々のような地元のプレイスポットである。ここ周辺でいろんなことが起きたが、大怪我などなかったのは、もしかしたらこの地蔵のおかげかもしれない。母から頼まれたミッションで買い物がある。
今日は鏡餅を飾り、15時ごろに洗濯物を取り入れ、そして牛乳などを買い物に行くと言うのは私の仕事である。これでコンプリートだ。無職の中年男性でも可能なところである。
平塚市と言うのは割と都会ではある。中途半端な田舎だがチェーン店などはしっかりあり不便ではなく、人口も自然も多い。都心まではまぁ1時間も電車に乗れば出られる。リモートで働くのであれば、ベストに近い距離感だろう。
ここに生まれたのは幸運だったと思う。
昼に面会した父親からは死臭がした。私しか気づいていないようだった。
肉体の終わり。我慢の終わり。
涙ぐんでいるのか生理現象なのか判別がつかない。
結局これが最後になった。
そのあと私は実家の近くの大津精肉店でからあげ150gとタバコを2箱買った。
私は吸わないが、父がよく吸っていたマイルドセブンの1ミリである。今はメビウスという名前らしいが知ったことでは無い。棺に入れる用に買った。
外の喫煙所で父のライターで一本吸う。
わびしくておあつらえ向きの喫煙所だ。
まだライターにガスが残っているのが驚きだ。
これは儀式である。父のことを思い出すのにこれ以上の儀式は無い。
思い出すのは穏やかな人だったということである。つまらない、気が弱い、なさけない、などの印象で父を語るのは簡単だが、私にとってはこれほどまでに無害な男は見たことが無い。普通の男性はどこか有害さを誇るところがあるが、彼は他者には限界まで優しく、自分を罰するように不摂生を行なっていた。そういう人間はえてして他者に下に見られる。それでも構わない別種の強さがあった。
私は父のようになるべきだ、と思う。
私は大学時代もらいタバコを何本かする位の喫煙歴しかないが、父はストレスが溜まっていたときに1日2箱位吸うようになって、母親からいつも怒られていた。酒は時々一緒に飲んだが、タバコも付き合うべきだったかもしれない。まぁそんなことが少し悔やまれる。ということで、マイルドセブンの1ミリは父の匂いである。昔からヘビースモーカーだったので、長生きは望むべくもないと思っていたのだが、まぁこんだけ生きるとはなかなかしぶといものである。
その日のうちに父は亡くなった。悲しみより安心が勝った。間違いなく安らかな最後だった。