尾見怜:五〇九号分室

小説・映画・音楽の感想

リーマン殺すにゃ刀はいらぬ、深夜特急読ましゃいい 自由への招待に君は抗えるか 沢木耕太郎:深夜特急

小説や映画や演劇など、「物語」の用途の一つとして、「非日常を提供する」がある。非日常への欲求っていうのは切実で、無いと結構やばいかもしんない、とは思う。
自分としては社会と関わるといろいろと減る。体力気力メンタル。

 

異世界で満たされぬ欲求を疑似的に果たそう、というのは、普段ミソッカスな自分を英雄物語読んで慰めたり。
恋愛市場の遡上にも乗れぬ人生を這いずる者たちがラブコメで溜飲を下げたり。

自由でうらやましい。さわやかだ。こんな旅がしたい。やってみたい、やってみたい!
この本を初めて読んだ当時の率直な感想です。少なくとも、今のサラリーマン稼業からはよっぽどマシに感じた。
事実私は嫌気がさしていた会社を辞めて沢木耕太郎をかなり真似た、香港からロンドンまでの長期間の貧乏一人旅を敢行しました。2016年当時29歳の時で、三十路前って人は仕事を辞めたがる気がする。

 

求めているのは決して海外旅行ではない。

旅なんだ。

スナフキン的なカッコよさだ。

誰にも縛られない(無理)自由だ。

日々の辛い労働に対する憂さ晴らしなんて認めたくない(ほんとはそう)。
自由と冒険なんだ…絶対そうなんだ…

私は「長期の貧乏一人旅」が好きで「短期の豪華な海外旅行」が嫌いです。
私にとっての「レジャー」や「気晴らし」というのは人と関わらないことが前提であって、旅行やリゾートに行くにしても基本ほっといてもらいたいのである。
隣にいる人とたまたま会話する程度がベスト。
サラリーマンやカップルがちょっとした刺激のために金を海外に落としに行くって行為が合わない。そもそも贅沢したいなら東京の方が質が高いと思うし。
そんなやつらとは時間と金の使い方が何もかもが合わない。根っからの貧乏性なのである。
その点の気持ち悪さはミシェル・ウエルベックの「プラットフォーム」を読もう。日本人は成金趣味がマジョリティーで気味が悪い。
安心安全な旅行じゃ満たされない欲求があるのだ。大長編ドラえもんだって、ドラえもんが四次元ポケットを失くすと途端に面白くなるじゃないか。
ゲームのRPGだって金がたんまりあるよりカツカツのプレーの方が好き。
好みの問題であるが、時間や金に対する価値観の問題は人生全般につきまとう。

「旅」には目的があってもいいが、無いほうが良い。

お金と最低限の設備にキリキリしながらホテルを探す。深夜着の列車の方が安いから13時間待つ。物乞いとの付き合い方を考える。ヴェネツィアで味噌汁が死ぬほど飲みたくなり日本料理屋を探す。そのあとなぜかカフェでピアノを弾く。パリで差別される。トルコで格安の宿と安くておいしいパン屋を見つけ、だらだら1週間滞在してしまう。高級ホテルのラウンジでwifiを拾うために入ったのに、なぜかちょい高いケーキを頼んでしまう。イスタンブールの空港から深夜追い出される。ウィーンの風俗で性欲に負ける。飛行機の時間を12時間間違えて、しかたなく時間つぶすために入ったカジノでおかしくなり6万負ける。ウィーンでクラシックコンサートの当日券を手に入れるためにダフ屋との長時間交渉をする。ネパールのカトマンズでカツ丼が食える幻の店を探す。バンコクのだらけた雰囲気に影響されて一日中寝る。ドバイで腹を壊してまた一日中苦しみぬく。ブルガリアでサンダルはさすがに寒いので激安のスニーカーを買う(いまだに気に入って履いてる)。

とにかく最高の経験だった。元をただせば、この私のおそまつな冒険も、電波少年ヒッチハイクも、深夜特急という異常な魔力を帯びた小説が元である。
たくさんの人間の人生を変えまくっている。

ただ、グローバル化、IT革命の前の話である。IP-SECのプロトコルが地球を覆う前の話で、情報の濁流に飲まれる前の世界だ。沢木耕太郎ローカリズムの濃厚さに噎せかえってしまうような各国の冒険は、もはや不可能なのだ。
異国への純粋な好奇心、五体で獲得する未経験の数々は大半がネットの疑似体験で満足してしまう。

またなかばヤケクソな雰囲気、気分だけで適当に生きている感じがいい。

要は人生を軽く捨てている感覚が心地よいのである。もっと気軽に、みんな人生を捨てよう!責任から逃げよう!一日寝てても罪悪感を覚えない無産者になろう!

そうアジられているような気分になれます。

YMOの3人があえて電子的に音楽のグルーヴをあえてなくしてみて、やっぱりちょっとしたリズムのずれこそ音楽の魅力だと気づいたように、
身体性を取り返すということこそ個人的なテーマだったりする。運動不足のネットブロガーの身で何を言っているんだと話だけど、
身体性とローカリズムがぜいたく品になって手が届かなくしまった感がある。

とにかく今こそ読むべき魅力に満ち溢れた小説である。若いうちに読めてよかった、と心から思う。