尾見怜:五〇九号分室

小説・映画・音楽の感想

それ本気で言ってんのか? と疑問に思った不穏な女児向けアニメのOP 岡崎律子:夢見る愛天使

 


夢がいっぱい フリルいっぱい
お願いよ ウェディング・ドレス 
ママのように素敵な恋 見つかるかしら

 

 

 

私は小学生だったが、セーラームーンの後に始まった「愛天使ウエディングピーチ」のOP、この歌詞に疑問を持った。一緒に見ていた姉はセーラームーンではないから文句を言っていたような気がする。
ほんとに女子はこれ素敵だと思ってんのか?

みんながみんなウェディングドレスを着たいと思っていてあこがれている、のが暗黙の了解なのだろうか?



要は恋愛脳的なキッチュなものが苦手で、今もゼクシィのCMとか苦手である。下品なエロは笑えるので好物だが、
エロでも耽美系とかナルシズム入ってくるとちょっときつい。
自分に酔っている人が苦手なんだと思う。冷めている人は好き。

結婚式というイベント自体ミスキャストだらけの茶番劇としか思えないのだが、
本当に女性たちはあれがいいものだと考えているのだろうか。
あれが幸せの象徴なら私は幸せになりたくないと思うのだが…

仮にこの曲の歌詞が皮肉だとするとうなずける。
まちがいなく曲調が不穏なのだ。半音ずつ下がっていく不穏な短調

その曲調がカッコいいと感じた。少なくとも能天気なポップスではない。

元ネタは間違いなく「夢見るシャンソン人形」である。(さらに元ネタはベートーベンのピアノソナタ1番第4楽章)

60年代フレンチポップを丸パクリしたものだと思うのだが、一見無邪気だが15歳でフェラチオを想起させる歌詞の歌を歌わせられるなど、元ネタはフリルいっぱいではなく悪意いっぱいである。
この曲は相当趣味が悪い。
フランスギャルという名前からしてひどいが、この女の子をプロデュースしたのは、セルジュ・ゲンズブールという危ない匂いしかしないおっさん。
おばさんなのに脱ぎまくるでおなじみのフランス製寺島しのぶシャルロット・ゲンズブールの親父です。
悪名高い秋元康つんくの元ネタみたいなもん。
生身の女性を「人形」として歌わせるのがまたねぇ。
私はアイドルと言う存在に関しては、こういった自覚的な露悪性があると思っている。
未成年者に対する性的搾取、記号化、見世物、キッチュさ、ポピュラリティ、未熟を売りにする邪悪さ。自己顕示欲の醜さ。
そこらへんを書いたのが今敏の名作「パーフェクトブルー」だと思う。

ウエディングドレスを着た女性を我々は「人間」としてみているのか?

それとも「お人形」として見ているのか。
ダッチワイフの名前の通り、人形相手に性行為をするのはヨーロッパの方が進んでる。カナダやロシアでも人形風俗が人気っぽいけど。
なぜ人はまぬけな見世物になりたがるのか、というのは承認欲求とはどこか別の「ハレ」と「ケ」とか祝祭とかそういうことなんかもしれん。
恋愛→結婚というフリルをつけられた幻想(洗脳)に対する気持ち悪さみたいなものを当時の私は感じ取った。たぶん狙ってると思うのだがなぁ。
まあただそれだけの話である。この曲はそういった不穏さが感じられていまだに好きですねぇ。

基本的にウェディングドレスが似合う女性などごく一部で、いっくら記号を付与したって見た目気持ち悪い人間がこの世を占めていることは間違いない。
だからこそ面白いのである。正直スタイルの悪い女性が着ていると似合ってなくて笑える。

そもそもがひと昔前の女児アニメソングに関するブログを、私はよれよれのグレーのスウェットを着て書いているのである。その悲惨さ、滑稽さがわかるか。
これがディストピアなのか、真の自由なのか、判別できるはずがないのだ。しなくてよい。

ちなみに私はこのアニメを一話も観たことがない。正直オープニングしか興味がなかったという…