尾見怜:五〇九号分室

小説・映画・音楽の感想

近代文学の金字塔で我が邦の宝 読める幸せをかみしめまくり 川端康成:雪国

こういう小説が書ければもう満足でしょう。私も何億歩も後ろにいますが、先にこういうものがあると思って歩いてます。

SF小説などを読んでいるとダイレクトな表現とあきさせないテンポに慣れてなんとなく読めなくなってくるよね。
自分でもバランスが崩れている、とかんじます。エンタメの合理的な構造に慣れすぎてしまうのである。修正が難しかったりする。
いわゆるカチカチのエンタメ脳になるわけですね。

こんな時は日本語表現の一番てっぺんに触れて、頭をぶん殴られるのが早い。
ああそうだった、こんなことばたちが好きだったんだ、ありがとう、ありがとう、というきもちね。
様々な種類のレトリックに触れてきたけども、私の場合、結局一番あこがれるし琴線に触れるのは日本の近代文学なのである。
女性の胸のことを「ありがたい膨らみ」という表現ね…
ド助平だよね…でもいい表現だよね…ありがたいよね…

再読して気づいたのは、数ある川端エピソードの中でも人気のある、「家に来た若い女性編集者を無言で見つめ続け、最終的に泣かす」という変態プレイチックなそれである。
正直やってみたい。天才は奇行が許されてうらやましい。
それに対応しているのが、本作における女性のしぐさ描写。そんだけ見つめてようやっと言語野につながるんやね。
『その節目は濃い睫毛のせいか、ほうっと温かくなまめくと島村が眺めているうちに、女の顔はほんの少し左右に揺れて、また薄赤らんだ。』

うっひょ~~~かっこええ!時間が止まるうつくしい描写やで。こんなんたまらんわ。たまらんですわ。
「時よ止まれ、君は美しい」って誰かゲーテ的な誰かが言ってたような気がするけど川端も止めてます。止めてますよ!

男が女性をみるという行為。
それに表現を掻き立てるすべてがある。
何百万年くりかえしてきた営為の奥底にはぽっと出の文化ではとらえきれないなにかがある。

ラストシーンは満点の星空に天の川が渡り、雪で白く染まった温泉街の一角で火事が起きる。
舞い上がる火の粉は星空に溶けていく。

インスタ映えとかエモいとかいろいろ言いようあるけど美しすぎやしません? もちろん上記は私の稚拙な情景描写なので、
このブログで読むのはもったいないです。気になる人はすぐ読みたまえ。最高なんだから。描写が。

ラストのセリフは「あの子気が違っているわ」なので実写化はもうできない。これを省くのは違うし。