尾見怜:五〇九号分室

小説・映画・音楽の感想

シスターフッド邦画の決定版 コミュニケーションの希望に満ちた橋のシーンは映画史に残る 岨手由貴子:あのこは貴族

山内マリコ原作の同名小説の映画化。劇場であまりの脚本の省略の上手さに惚れ、Blu-rayすぐ予約しました。
邦画のクソ高いBlu-rayの新作を予約してしまうなんて、大貧民だと自認していた私も貴族の仲間入りなのである。
貴族だからブックオフには売らない。たぶん。

主人公の華子に、初見ではてめぇタクシーばっか乗るな!ぶち殺すぞ!と激昂すること数回。
よくよく観終わったらそれがテーマそのものだった。
他人が運転するタクシーと、自分の力で進む自転車(三輪車)よ!

金持ちの会食なんか映画で見たくねーよクソがと。爆発しねぇかなこのホテル。というハリウッドに脳を侵されている自分が見終わって見るといやになる。見続けると上流階級(松濤に住んどる)の世界って映画的には合っている。
邦画は韓国映画に比べると、貧困層、底辺の描写力がぬるい。だが上流の洗練されつつも伝統も重んじている感じを出すのは、この映画に限って言うとクッソ上手い。出てくる金持ちたちが、一代の成金に見えないのである。
そして悲しいことに、そもそもこの映画に興味を持ってしまう、魅力を感じてしまうこと自体が平民以下の証である。
恋愛脳メンヘラクソ女と性欲暴力猿男は同列だと思うが、全人類全階級当てはまるのが悲しい。

なんてったってこの映画は対抗軸が無い。男女で戦うわけじゃない。階級闘争でもない。同性間も争わない!しっかりと会話して、連帯する。
言ってしまえば女性が結婚して離婚するだけの話である。(行って帰るの物語構造として基本を押さえているともいえる)
なのに新しいんです。

価値観も住む世界も全く違うけど、道路を隔てて手を振りあうことができる。情報量は少なくとも、通信することができる。
このメッセージがダイレクトに出た橋のシーンには、
なんだかしらんがめちゃめちゃな幸福感に包まれて涙ぐんでしまった。
日本映画史上に残る名シーンでいいんじゃない? 少なくとも自分が映画撮るならパクりたい。
タクシー降りて歩くと、こういう通信がありえるんだ、というかすかな希望を感じるシーン。
久々に感動ポルノではないなにかで感動した気がする。
もっとこの感じほしい。こんな映画があるなら、救われる。
プラスして、この映画には北野武級の、省略の美学を感じる。説明的なシーンも多少はあるのだが、脚本における決定的な瞬間を野暮ったく描写しないのだ。
昨今の映画は情報量を増やす方向に進んでるのに。粋だよ。渋いよ。カッコいいよ。
死にかけの邦画はこの映画に救われとるわ。なんつう気持ちの良い映画だろうか。
子供用の三輪車を友人と二人でこぐシーンが象徴的でいい。華子が初めて身体性を見せたシーンでもある。
エンドロールの入り方もあっさりでいい。

ていうか華子の友人(いつこ)がマカロン食うシーンはかわいい。今作のMVPだ。

女性がこの映画をどう見るかが気になるところである。「あるある」が好きな女子はどのように自分のこととしてとらえるのか。
少女マンガから抜け出して自由になった元「少女」は東京にどれくらいいるのか。(レディコミ読んでたら元も子もないが)

最後に絶望的な話をすると、この映画から最も遠いのは日々現実と妄想の二極を往復する男性のオタクである。
私も片足を突っ込んでいるので書いていてつらいのだが、男性から見た女性への記号化というのは進行しつつある。
この映画の細やかなキャラクターは、記号ばかり扱って盲目となった男性たちには、一律「若い美女」としてくくられ、後の区別のポイントは乳がでかいかどうかくらいなもんになる。(ソシャゲのキャラだな)
異性に対する解像度の逓減は年をとればとるほど止まらない。
あーやだやだ。男の雑さはほんとうに悲しい。滑稽ですらある。笑うしかないというのが現状。
男性にとっては、そこらへんの想像力の貧困を是正してくれる良薬的な一本である。

 

 

女性の呪縛を解くという意味ではこの漫画もおすすめ。恋愛に違和感抱いている女子は悪いこと言わんから読んどこう。