打ち切りマンガよろしく、「えっ、ここで終わるの!?」という気持ちになる小説は結構ある。
エンタメだと怒られるので、純文学のほうに。
この脱力感というか、置いてけぼりにされたような感覚。
好きなんです。
エンタメの基本なんか無視でいいので、そんな尻切れトンボな切ない気持ちに浸りたい人にはもってこいの短編集がこれです。
文章が粒ぞろいの短編ばかりでどれも切れ味半端ない。
正直言って、端正な文章なら永井龍男がいちばんなんじゃないかな、とおもっている。
とにかく無駄がないんです。
なんなら、物語的に構造上必要だろ、と考える部分も欠けている。
起承転結の起承で終わってる感じの短編が多い。このあとどうなるのだ……とおもった途端にズバッと物語が終わる。
この終わる瞬間。唐突に終わりが訪れて取り残されたような感覚。
ふしぎなものでなんだか気持ちが良いのであります。
この感覚を初めて味わったのは川端の「雪国」のラスト。あれもピシャンと唐突に終わってなんだか寂しくなったのを覚えている。
こういう小説っていまあるのか。おそらく書き手が居ない。
作中で曖昧に匂わされる結末は、想像できるようで出来ない。不穏な空気がなんともきもちいい。真似してぇなぁ。でも出来ねぇんだろうなぁ。
文体には一部のスキも無い。癖の強い文体ばっかり好んで読んできた自分としては、正反対の方向で好みのタイプを見つけてしまった。
巻末に川盛好蔵の解説に、「無神経な言葉、粗雑な言葉、生煮えの言葉、気取った言葉、こけおどしの言葉はこの作者の最も嫌うところ」とある。
かっこいいよ永井龍男。
ミニマルだよ永井龍男。
多分ずっとファンでいるよ。
ちなみに、永井龍男は村上龍の「限りなく透明に近いブルー」への芥川賞授賞に抗議し、選評「老婆心」を提出したのち芥川賞選考委員辞任を申し出たらしい。
あの村上龍の挑発的であけすけな文体は彼の好みと相いれないだろう。
どちらが好きと問われれば、どちらも好きよ。
文学ではポリモアリストを気取ろう。
新人賞の選評でケンカしている審査員をおもしろがろう。
どうせ文学なんて、結局のところ誰もよくわかんないんだからさ。
※ダラダラ続く物語についての考察
ダラダラ続く物語がきらいだ。
アメドラやジャンプの対策漫画に代表される。
永井龍男の対義語が上記のようなダラダラ物語だ。
はっきりと、依存症ビジネスであると思う。(netflixは構造からして依存させるようにつくってある)
ギャンブルやドラッグ(アルコールやニコチン含む)、過度なポルノと同等レベルに邪悪であるとも思う。(あくまで個人の感想)
私は長い作品を否定しないが、作品にファンを依存させる構造は大嫌いだ。
その点ではアイドルも同じ。
消費せざるを得ない構造をあらかじめ設計しておく、というのが許せない。
どれだけ快楽を与えていても、それは罪だ。
だから私はジャンプを卒業し、アメドラにもアイドルにもアメコミ映画にも興味を持てない。
儲かるんだろうけどそんな卑怯な真似に貢献したくない。
作品とは人に寄り添い、人生を変えてしまうほどの影響力を持つものだが、ただ金と時間を奪い続けるものに関しては有害である、と断ずる。
私は依存症ビジネスの上客には絶対にならない。多分だけど。