芥川賞という賞がどのような賞なのかいまいちわかっていないし、純文学とは何ぞや、なんて考えたくも訊かれたくもないのだが、この賞は僕に定期的にいい作家を紹介してくれるのでまあまあ信頼している。(近年では西村賢太、村田沙耶香、上田岳弘)
打率は1割もないのだけど、今回はホームランだった。
わーい。
好きな作家見つけた。
うれしい。
しかも年下なので自分が死ぬまで新作読めるぞ。
ブログを書いている今日の昼に買って、夜に風呂に入り読み始め、終えるまで風呂から出られなくなった。
たぶんもう一度、今度は細部を吟味するように読み直すだろう。
いやーいいっすね。好みです。
エリートの転落を描いたものですが、ありがちなピカレスクロマンとは一線を画している。主人公はどちらかというと「いい人」だ。
この「いい人」の定義の話を今作ではしている。
小説は映画や舞台とはちがって、物語としての構造の自由度が高い。それゆえにこういうのがでてくるからおもしろい。
いわゆる「リア充」「陽キャ」とネット界隈で称されるスペックを持つ大学4年生が主人公なのだが、彼には何かが欠けている。
日本文学でこういうキャラクターを取り扱うこと自体が稀ではないだろうか?
そのかけている「何か」が、読み終わった今、必死で考えているのだが言語化できていない。
その時点で僕にとって少なくともこの小説は傑作です。
こういう主人公みたいな人って居るだろなぁと。
某三田の大学とかに。知り合いにひとり路上でわいせつ行為におよんで捕まったアホがいて、そいつは某三田にある大学出身のチャラ男だった。
おそらく筆者の学生時代、こんな奴らが周囲にひしめいていたのは想像に難くない。
ゾンビの映画を彼女とみているのに、最後まで観終わらずにセックスを始めてしまう、なんてエピソードがあるのだが、そこらへんがちょっと自分とは違うところだ、と感ずる。自分ならいくらセックスしたくてもちゃんと映画は観終わってからするよ。たぶんね。
恋愛、マナー、試験、焼き肉、ラグビー、これらのワードが主人公の毎日を彩る。それに対してまっすぐ進む主人公は傍から見れば、なんてさわやかな好青年だろう、と映るだろう。だが考えていることは、主語を省略しまくるあまりにもぶっきらぼうな文体によって、非常に怪しく思えてくる。
この作品が持っている感覚を、若干若返った芥川賞の審査員が持っているなら時代遅れのジジイババアのくせに大したものだ。「若者の(危うさの)すべて」としか言いようがない小説。時代ではなく普遍的ものなのかも。
主人公は人並み以上に努力するから優れているし、女性の扱いもうまいからモテる。
なのにこの精神の空虚さは何なのだろう。恵まれたものの精神の貧困ってここまで内容がないのかしら。
なんて、批判的にみている書評は多かったり。
でもあんたらが大切にしている仕事やら家族やらも同様に無意味だよ。
高度資本主義社会は、文化背景や格差、知能はおいといて、みなおおざっぱに押しなべてこういうところに行きつくのだろう。終着駅は皆虚無なのだね。
おそらく村上春樹のスノッブさに共感できない若い世代は本作のほうに共感する。
わたしもこちら側である。
深い人間ドラマなどつまらない。そんなものは作り物で存在しない。
こちら側はもっとシンプルで、外側はモノや娯楽で満たされているが、心がとにかくがらんどうなのだ。