尾見怜:五〇九号分室

小説・映画・音楽の感想

映画の文体破壊とバカバカしさへの愛  クエンティン・タランティーノ:パルプ・フィクション

面白い映画だなぁ。なんで面白いんだろう?わかりません。好きなシーンはいっぱいあるんだけどね。
そんな人が多いであろう映画。ジブリ作品に近いかもしれません。情報の質があまりにもほかの映画と違うのです。

カップルが強盗して、チンピラ二人が黒人殺して、マフィアの親分の女房と踊って、女がオーバードーズ起こしたのを何とかして、
ボクサーが八百長無視して殺して、逃げて、マフィアの親分がホモに彫られているところを日本刀で斬って、
チンピラ二人が車の中でまた黒人殺して、車の内装をタランティーノんちで掃除して、カップルの強盗をやり過ごす映画。

まず時系列シャッフルを大々的に始めたのはこれ。ハリウッドの脚本はスターウォーズ旧3部作以降、キャンベルの「千の顔をもつ英雄」にのっとった神話的プロットを採用するようになっていった。
こいつには村上春樹やら中上健次やらも多分に影響を受けており、親殺しだの境界越えだの各種面白くなる要素が詰まっていて、シナリオの教科書みたいなものであったのだったが、
タランティーノはこれを無視して最高に面白い映画を作った。それをちゃんとカンヌの審査員が認めた。くだらない話でも、演出次第で面白くなるのだ!というのを証明したのである。何もかもがあっぱれ。

"このブログではディテールをうんぬんするのはやめたいし、その名の通り、この映画はくだらない話のつぎはぎなのである。キリスト教の考察なんていうのは、
多分タランティーノも大して考えてないんじゃないかな。考えていたとしてもこの映画の面白いところはそこじゃない。そもそも日本人である我々には理解できない。
その点の思わせぶりなところは庵野と一緒。とりあえず情報量で埋めておく。演出において意味のないものは削っておく必要があるので、無理やりに意味をつけてしまう。"

伝説のシーンとして、トラボルタとユマサーマン様のツイストダンスシーンがあるのだが、ほんといつ見ても笑える。
"なぜ笑えるのか。真顔の二人、ばかばかしいダンス、探り探りの雰囲気、なぜかかっこよく見えてしまう不思議、
サタデーナイトフィーバーとは大違いの、トラボルタによる振りの小さい控えめなダンス、そもそも何で急に踊ってんの?という根源的な問い。"
各種混ざり合い、疑問と爆笑が交互に私を襲うのです。時折映画ではナニこれ?と言いたくなるシーンがある。デスペラードしかり。これがいい映画の特徴。
現場が偶然に産んだグルーブというか、各種要素の相互作用によって奇跡の塩梅で素晴らしいシーンが生まれることがある。それを採用するセンスをタランティーノは2作目にして持っていた。それがすごい。すごすぎる。
画面を完璧にコントロールしたがるキャメロンとかには無い発想だ。
これで笑えるかどうか、というのは、単純にインプットの量の差であるとおもわれる。よく笑いのセンス、という言葉が使われるが、センスの問題ではなく、前提となる基盤をよく理解していて、期待を裏切ってそれをぶっ壊しているからこそおもしろいという感想が生まれる。
ホームアローン2では、本来あの男の子が無残に殺されてしまえば私は爆笑してお気に入りの映画になったでしょう。ハネケのファニーゲームはそれをしっかりやったからすごいのだ。

ホモに掘られているマフィアの親分を救うため、日本刀を構えたブルース・ウィリスがホモたちに気づかれないようにそろそろと近づくシーンがある。これ以上ばかばかしいシーンを私は知らない。あくまで笑わせる目的のコメディタッチではなく、本人は文字通り真剣。
何が面白いって、今まで敵で恐怖の対象だったマフィアの親分が、助けるべきヒロインにジョブチェンジしてしまっていること。乙女と化したかつての敵とは、助けた後も気まずいムードが流れるのだ。その時のブルースの表情は非常に情けなく、叱られてるバイトみたいでほんと最高。


「俺の家の前に”ニガーの死体預かります”って看板が出てたか? 出てないよな? 何で俺の家の前に”ニガーの死体預かります”って看板が出てなかったと思う? 俺の家じゃ、ニガーの死体は預からねえからだ!!」
このセリフが言いたいがためにお前出てきただろ。それ含めて面白いよあんた。

 

 

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