永遠に消えない新選組ブームの種火であり、沖田総司を天才美青年剣士にしてしまった業の深い作品。フォロワーは数え切れず。土方×沖田カプ等の天照で永遠に焼かれ続ける腐女子は多い。主に銀魂と大島渚のせい。
そんなことはどうでもいいんですがその前に、娯楽小説としての大大大傑作であることに間違いない。
軽く自分語りをしますが、わたしはこれを中坊の時に読んで無事中二病を発症した。幽白の飛影でもギリ耐えたのに。
ハマりすぎて新潮文庫版上巻の表紙を拡大コピーして部屋に貼り、ポスターとした。文庫本の表紙だよ。マジだよ。母はちょっとひいてたよ。
ボロボロになるまで読んで文庫本は2代目。いつでも読みたいからkindleでも購入済み。
なにがいいかってさぁ、さっきいじったジャンプマンガより少年を熱く燃え上がらせるんだよ。漫画以上に漫画なんだよ。(描写やセリフにケレン味があるといいたい)
自他ともに認めるダウナー系男子だった自分がだよ?
部屋に燃えよ剣って文庫の表紙拡大して貼ってんだよ?オレやばくない?エヴァによって下がったバイブスをアゲアゲにしてくれんのよ。
魅力がさっぱり伝わってないと思うので冷静になります。
この記事で言いたいのは、よく語られる新選組の中二的な魅力とか、幕末のドラマ性ではなく、お雪というキャラクタについてです。ひいては、エンタメ小説の恋愛要素について。
あまり語られることは少ない。大体は沖田総司とか斎藤一などのあくの強いキャラに話が及ぶ。
土方歳三の恋人役として登場。実在せず、司馬の創作です。つまり作劇上必要だったということ。
組織論だったり戦術論だったり要素はありますが、華を添えてくれるのがお雪さん。私の理想の女性です。好きです。愛してます。
創作作品において恋愛要素をどの程度取り入れるかというのは一つのテーマだけども、本作においてパーセンテージでいえば5%無いくらい。そのほかはひたすら男臭い殺し合いと政治です。
"個人的には、理想のバランス。まったく恋愛が無いのでは色気に欠ける。このくらいのパーセンテージで混じるとその部分がスパイスとして効きまくり。
恋愛をメインテーマにしてしまうとどうしても作品のスケールが小さくなるからね。
(需要はあるっぽいけど。新選組の恋愛やら日常系なんて漫画や同人に腐るほどある)"
司馬遼太郎の恋愛描写としてもう一つおすすめなのが「花神」です。大村益次郎とシーボルトの娘であるイネの関係描写がまた秀逸。
大好きな場面がある。歳三とお雪の何気なーい会話。江戸に用があってお雪に用事があるか、と尋ねるシーンです。
舞台は京都、お雪の家を訪ねる歳三。庭の紫陽花を縁先で眺めながらの一幕。
「どこかに言付(ことづけ)はありませんか。お雪さんのためなら、飛脚の役はつとめます」
「たたみいわし」
と不意にいって、お雪は赤くなった。白魚の干物で、今日にはないたべものである。
「たたみいわし?」
歳三は、声を出して笑った。
お雪の好物。それはたたみいわしです。江戸に行く土方に土産をねだるところがかわいい。顔を赤くしながら言うのがかわいい。今まで割と気丈なおねえさんって感じだったのがこのセリフで印象が覆る。わたしもひっくり返る。全ラノベ作者が見習う点が司馬にある。
「お雪さんは、あんなものがすきですか」
「だいすき」
こういう男の琴線に触れるようなやり取りを、漢字だらけの血生臭い話の中に、ぽんと入れてしまうところに司馬の魅力がある。めったに笑顔を見せない鬼の副長である歳三のギャップもまたいい。
わたしはこのシーンが好きすぎて、いまだに居酒屋にたたみいわしがあると頼んでしまう。
"この後なんやかんやあって二人は結ばれるのであるが、直前にこんな会話があると二人の接近に説得力を持たせることができる。少女漫画でもなかなかこうはうまくやれない。エンタメの達人はどんな描写でもうまいのだ。
それに司馬作品はかなりエロい。そもそも本作は冒頭から土方が夜這いを仕掛けるシーンから始まるし、モテる男が主人公だから性的なシーンが多めだ。
司馬史観だの余談連発だの文体をいじられることが多いが、性描写にも注目してほしいのだ。戦う男には死の匂いがつきもの。そういう男はエロいのです。"
死を覚悟した男は余計なことを考えたり喋らなくなるので、雰囲気が出るのでしょう。映画「ワイルドバンチ」のザ・ウォークという有名なシーンがありますが、歩いているだけなのにひたすらかっこいい。
この時代に居た「男の典型」を書きたかったと司馬は言う。男とは一貫した信念を貫くもの。そこに恋愛要素はありますが、優先順位は残念ながら低いのです。この後は一度会っただけで歳三は戦争ばっかり。
そこに女の健気さや愛おしさがある。理解し、包み込む気高さがある。物理的な距離がありベタベタしない、通信技術が発達していつでもどこでも連絡がとれてしまい、かつお互いの考えをぶつけ合う西洋的な恋愛観が日本を支配する前の、配慮と気高さに満ちたどこまでも清潔な恋愛です。ましてや読者は土方が若くして戦死するのを知っている。悲恋に終わるのは決定事項です。
もちろん中坊の時の私はこの貴重さに気づかなかった。当時はメールという通信手段の登場が恋愛のプロセスを大きく変えてしまったタイミングでした。
「新選組副長土方歳三」
小説の終盤も終盤、そう名乗って歳三は官軍に単騎で突っ込んでいく。官軍は白昼に竜が蛇行するのを見たほどに仰天する。その瞬間、一斉射撃を食らって絶命。
土方歳三や新選組というのはある種のレガシーシステム、古いバージョンである。システム屋ならわかるだろうけど、巨大なシステム程バージョンアップは痛みを伴う。明治維新で痛みの最前線に立ち続けた男のものがたり。
桜を愛する日本人はそういったものに美しさを感ずるのは間違いない。当時の恋愛の美しさも、小説に一部残っているだけで絶滅しつつある。