このブログの方針を変えようと思う。
今までは、私の心を支えてきた作品についての上から目線の生意気な評論を行っていたが正直やる気が失せていた。
天才の作品を凡人が評論する、というのは、凡人からしたら偉くなったような気がして非常に楽しい。気が向いたらまた始めようと思うが、このブログを一種の写真付き旅日記に変更しようと思う。
私は来月に5年ほど勤めた会社を退職する、37歳の独身男である。
下手だが小説を書いて、新人賞をいつかとることを夢見ている。
働いた期間で五百万ほどの貯金ができた。
それをつかってこれから大小の旅に出ようと思う。
このブログには、そのまま自分の気持ちを書こうと思う。限界まで正直にそのまんまをお届けしたいと思う。
ちなみに、現在の私の精神状態はちょっと鬱っぽくなっている。
朝晩の落ち込みがかなり激しい。
父親が脳梗塞で倒れ、寝たきりになってしまった影響かもしれない。(もう使えないので彼の一眼レフを譲り受けたのが写真をとるようになったきっかけの一つだ)
退社の調整が今佳境に差し掛かっているのと、さらに非常に情けない、職場での失恋もどきのようなものを経験している。37歳の中年男の失恋なんてものはもはや話す価値がないほどに無様である。いずれその情けなさを田山花袋の様に小説にものそうとしているので、いずれ気持ちが落ち着いたらまとめようと思う。
(あのうまくいっていると感じていた、ちょっとした冗談で笑ってくれた親しい女性の態度が急変し、毒虫を見るような嫌悪の態度を取られた時の男の気持ちというのは、とにかく惨めで酷いものだ。あの地獄に叩き落されたような気持ちをどう例えるのが適当か現時点では思いつかない。)
自分で言うのも小恥ずかしいが生来私は恐ろしく神経過敏にできており、ちょっとしたことでもすぐ落ち込み、ちょっとした音でびっくりし、ちょっとした匂いにも嫌がり、食い物の好き嫌いも激しい性質である。そんな中年男が恋愛もサラリーマンもできるはずもない。一種の不能者として、これから生きていかなければならないのだ。
そんな筆者のため、明るい文章やご機嫌な文章を望んでいる人には満足はできないだろう。
まぁ、ブログタイトルを見る通り、私が尊敬してるのは、内田百閒、沢木耕太郎、さらにつげ義春、深沢七郎など、貧乏臭さと謎の切なさがある旅行記、そういったものを目指していきたい。虎の子の貯金が尽きたとしても、何とかこの旅ブログ、旅ブログとも言えないかもしれない、下手な写真と駄文の記録は生涯続けられる趣味のような感じに持っていきたいものである。まあどう転んだって屁みたいなもんしか書けないだろう。
いるかどうかわからないが、読者の皆様はこの私の人としてブレブレの生き方、無意味さといい加減さを楽しみに読むのが1番良いのかもしれない。
また正直さを唯一のよすがとしていきたいので、機嫌が良ければたくさん更新するし、めんどくさくなったら正直にめんどくさいと言って更新はまた途切れる。
ただ、割とやってみて思うのが、古いカメラを片手に知らない街を一人で不審者よろしくフラフラするというのは性に合っている。
あとは金をどうやって稼ぐかだが、また就職するのかそれともフリーランスとして何かをやるのか、まったく見えていない。国民健康保険、国民年金、住民税はどれほど払わねばらならないのか。
とにかく、暗中を模索してやるしかないのである。