さて鶴巻温泉駅である。平塚の実家から車で20分ほどで着いた。
なぜ私がここにいるかというと、父が 鶴巻温泉病院にずっと入院しているからである。 今年の晩夏に脳梗塞を起こし自宅で倒れてから、ほぼ緩和ケアという段階に進んでおり、回復のめどどころか日々できることが少なくなっていく状況である。
母から彼の一眼レフを譲り受け、彼が入院している病院がある駅周辺をふらつく。
最初の記事としてはなんだか縁起が悪いかもしれないが、とりあえず天気だけはいい。
駅前で喫茶店を探したいがある気がしない。ここは東京ではないのだ。
とりあえずここら辺の象徴である陣屋という旅館に向かった。
まあ庭とかそりゃ奇麗にはしてるよね、という印象。それ以外は特になし。
泊ってもいないやつのだからわかるべくもない。
ここらは日曜でも正午に学校のチャイムがなるようだ。
12月の割にあったかいのが非常に助かる。
裕福な家も唐突に現れ、フェラーリが置いてあるあたり、父を診察した医者でも住んでいるのだろうか、と勘ぐってしまう。
西光寺
線香の匂いが落ち着く。午前中に誰かが来て、誰かを悼んでいたのだろう。
しかし歩いていると暑い。ユニクロのあずき色をしたウルトラライトダウンを脱ぐ。その下もどうせユニクロである。
自分はこれからどうなってしまうのか、という不安と、当分治らなそうな心の傷みたいなものを抱え鬱々としながら歩いていたが、いい陽気なのが幸いして落ち込み切らずに済んでいる。
もはや思い付きで近くにあった蕎麦屋に入る。
田代庵 天ぷら蕎麦 1000円
東京で立ち食いソバにいくとやはり醤油のガツンとしたしょっぱさを求めてしまうのだが、こちらは優しい味だ。のんびりした気持ちに拍車がかかり、なんだか非常に助かった。この味の優しさは、今のメンタルにはありがたい。
お茶もうまい。すぐ飲みほせる熱さなのがありがたい。
こじんまりした店である。
客が座るべき席にはかなり店の荷物が置いてあり、その雑な感じがなぜか落ち着く。
常連たちは仕事の話をしている。誰かの悪口を聞くと関係ないのになぜか不安になる。
どこかの土地に根ざして常連になることが永遠に来ない気がする。あこがれてはいるのだが…
歴史を感じるものが好きだ。自分に歴史が大してないからないものねだりなのかもしれない。
奥の席は娘さんが描いた絵を大胆に飾っているらしい。もうすでに娘さんは40歳を超えているらしいがこの客席を圧迫するほどの変わらぬ娘への溺愛ぶりに何思うのだろうか。
数分前まではまったく行くつもりが無かった。
本当に何も考えずに生きている。計画性のかけらもない。それが無性に嬉しい。
こんなやつに嫁が来るわけはないし、どうりで期初に目標を立てて日々邁進、報告しなければならない会社員に馴染めないわけである。
マックシェイクのバニラである。150円。
Sサイズでも飲みきれないという小鳥並みの胃袋の狭さ。
弘法の湯へ向かう。弘法山が近いからだろう。
弘法といえば筆を誤ることで有名だが、筆を誤っていること以外に何も知らなかったのでそれ以外の活躍を知れるならありがたい。
この温泉、中でひたすらに頭をからっぽにできた。
理由としてはそんなに湯の温度が高くないからである。
また中の客も登山後に来ているからか、疲れが見えていて落ち着いている。
東京のせわしないスーパー銭湯と比べると流れる時間がゆったりしている。
というか、私が長年住んでいる東京が異常で、それ以外の世界はきっとこうなのだ。
せっかちで、数字と女の尻ばかり追いかけ、イライラして汲々としている。
営業マンである私の現上司は、ある同じ職場の女を落とすためにアカウントプランなる用意周到な資料を作ったらしい。そんな人間にはなりたくないしなれない。
私は理由なく衝動のみでマックに入り、頼んだシェイクを飲み干せない人間なのだ。
その上司は結果目当ての女と結婚したのは見事だが、現状うるさいだのIQが低いだの互いにひどい悪口を言い合っている。
無惨である。
結局汚らわしいことを思い出してしまった。
どちらの世界で生きるかはこれから決めていかなければならない。