朝起きると、「今、自分の心に何が起こっているか?」と問いかける。
混乱している、悲しい、すごく不安だなどが返ってくる。
それは起き抜けでセロトニンが不足しているからである。
鬱病とまでは言わないが、3歩手前といったところか。
それを自覚し対策を練る。体を冷やすのと二度寝がいちばんいけない。
メンタルにいい活動など、ネットで5分も調べればごまんと出てくる。
そのようにして、皆社会生活をごまかしているのだ。
メンタルの保守のために近所を歩いていると、髪をところどころクリーム色に染めているおしゃれなおじさんをみかけた。近づくとただランダムにハゲているだけで染めていると思った部分は頭皮だった。無惨なことだ。老いとは無惨さを受け入れることだ。
コンビニで棚の奥にある牛乳に手を伸ばした時、右手の甲を傷つけてしまった。
まあまあ痛い。ただついた傷に血がにじんでいても、そのままにしておく。流れに任せる。
私の父は血液の癌らしく、赤血球の数が減ってしまっているらしい。この前見舞いに行ったら、腕があざだらけだった。内出血しても赤血球が足りないので塞がらないのだ。脳梗塞の影響でもう話すこともできない。無惨だ。ただ、受け入れる。
昨日笹塚のお菓子やで買ったチョコバーを歩きながら一本食べて、ウォーキングに備える。
さて、西新宿へ向かう。
目的地はどこか。
とんかつ檍のカレー屋 いっぺこっぺ 西新宿店に行きたいのである。
あそこのヒレカツカレーが絶対に食べたい。
ただ今の経済状況からすると1500円近い出費は手の甲の傷よりも痛い。
なので、電車は使わず、歩きで面白そうなところがあればちょっと寄りながら行ってみようと思う。11時半に方南町を出てまぁおそらく1時間程度で着くだろう。
さあカツカレー食うぞ、と意気込んだのもつかの間、店を検索したら日曜日はやっていないと言うことに気づいた。
新宿まで歩く気満々だったのに急に途方に暮れてしまった。
どうする?
とりあえず西新宿に行ってから考えよう。
いつも通りあてのないウォーキングが始まった。
思い出横丁で何かを食べるのはどうだろうか。私は「かめや」と言う蕎麦屋が大好きである。食うのはもっぱらうどんだが。
今の上司の前の上司は大阪出身で、ある日東京風のそばが食べたいと言ってくれたので、その「かめや」に連れて行ったことがある。結局その上司は東京と大阪の往復で疲れ果ててしまい、お酒を飲み過ぎと言うところもあるが胃がんになってしまった。大好きな上司だった。彼は治療のためまた大阪に戻ってしまった。
私と新宿のかめやでもう一度あのそばが食べたいと言ってくれたのが嬉しかった。おそらく二度と叶う事は無いだろう。切ない。
とまれ方南通りをひたすら東へ向かう。
相変わらず、この季節は落葉が美しい。
ちょっとした風に吹き上げられて黄金の黄金に光る葉っぱが、くるくると回るところなどを見ると、目が見えると言う今の状態を心底幸せだと思う。
そうだ、私は今の状態は健康で幸せなのだ。ストレスで胃がんにもなっていない。何せさっきまでカツカレーを食おうとしているんだから。ド健康だ。
元上司は胃の一部を切除したため、残念ながら美味しくカツカレーを食べることもできないだろう。カツカレーは無理でもまた東京に来る機会があったら、かめやのそばを1人でも構わないので、おいしく食べて欲しいものである。
しかし、2024年の12月は全く雨が降らないような気がする。ありがたい。
公園には2種類あると思う。陽性の公園と陰性の公園である。クラシックで例えればモーツァルトとベートーベンのようなものである。うまく例えられているのか? 我ながらスノッブで癪に障る。
陽性の公園はわりかし新しくトイレなども綺麗で掃除も行き届いていることが多い。陰性の公園と言うものはサビきった遊具などがさみしくポツンと一つあり、植物の剪定などが行き届いておらず生えっぱなしなのが特徴である。全体的に暗くリストラサラリーマンが錆びたブランコに乗っているようなものがなしさが漂う公園のことである。どこか狭く落ち着かない雰囲気が漂っており、人を暗い気持ちにさせるものがある。ともすればホームレスが住み着いているなんてこともある。
もちろん私は陰性の公園が大好きである。
このブログのコンテンツとして、暗い気持ちにさせる陰性の公園をみつけたらどんどん写真に撮っていきたいと思っている。今単に思いつきで言ってるだけで二度と公園を取らないっていうことがあるかもしれないので、その時はごめんなさい。
方南通りの歩道をずんずん歩いていくと、目の前にバス停があった。
女性がバスが来るであろう方向を髪を振り乱しながら険しい表情で睨んでいる。
今日は風が強いのでロングヘアの女性は大変である。女性は全員黒髪ストレートのボブにすればいいと思っている人間なので、ロングヘアの女性は私の中では女性ではない。
バスだけではなく風への怒りも表情から感じる。バスが遅れているのだ。太陽の向きのせいか眩しいのだろうが、凄まじい表情している。
自分はどこか地方のバスの運転手になろうかと、最近考えていたが、遅れたときに、こんな表情で睨まれたらたまったものではない。
1分後ぐらいに私をその女性が乗ったバスが追い抜いた。
よかった、と思った。
あのぶちぎれていた女性が用事に間に合うことを願う。
さて、そろそろ西新宿に着く。
正直言って、腹はあまり空いていない。
なのでつけ麺などのがっつりしたものでは無いような気がしてきた。
そこで喫茶店という選択肢を思いついた。
サンドイッチとかピラフ、いわゆる軽食である。
私は飲食店の中で最も純喫茶が好きで、
とにかく明るい白を基調としたおしゃれカフェなどは憎悪の対象だ。店内がすこぶる暗い、純喫茶が好きである。
そこも前述の公園の好みと似ている部分がある。
そうだ、ずっと行きたかった西新宿の西武に行こう。
サンドイッチでもやっつけよう。
なんだか本当に散歩とこのブログに癒されている。
音声入力のiPhoneに感謝だ。
もし昔の文豪などに会えたら、このiPhoneの自動音声入力を自慢してやりたい。
これすごい楽だよ、と。漱石やら谷崎やらが「いいなぁ」と言ってくれるといい。
背脂いっぱいの中華そば屋の看板に異常なほど心惹かれてしまった。
しかし初志貫徹したい、俺は喫茶店に行くのだ。
これまさに新宿、というところまで入ってきた。
気を確かに持たないと適当な店に入ってしまいそうだ。
このブラジルという喫茶店も一度入ったがなかなか良い。
そしてココイチでチキンカツカレーを食べることへの誘惑をなんとか耐える。
さながらキリストの最後の誘惑。私達は弱いので多くの誘惑にさらされますが、私達には私達が耐えられない試練に遭わされる方ではない、脱出の道も与えてくださる神がいます(I コリント10:13)。
もし警官になれるなら、ここの交番で勤務したい。
外観が渋すぎる。向かいにココイチがあるのもいいし、背負うのは大きい公園と都庁である。
丹下謙三もこのアングルで見てくれと思ったのではないだろうか。正直デザインは今観ても見蕩れてしまう。
やはり私は西新宿が好きかもしれない。
役者が個性を競うように様々な形をした高層ビルが並んでいると、なんだか楽しくなってくる。歩く人もうるさい若者とか少ない気がする。
高層ビルを眺めていると視界には落ち葉が舞っていて非常に美しい。
晴天の青空をバックに何やら美しい舞台作品などを見ているような気分になる。
いい心持ちだ。
ただ、最近できた歌舞伎町タワーとかいういい加減なビルは目に入るだけで腹が立つ。なぜだかあのビルの外観は美的感覚が損なわれるような不愉快な気持ちにさせる。まぁ中に入ったこともないので、見た目がとにかく嫌いだと言うことだ。日本人の美的センスの劣化を感じる。西新宿にあのビルが建たなくて本当によかった。
対してコクーンタワーはめちゃめちゃに好き。
繊細な美しい女性の佇まい。がっしりした都庁に並ぶ西新宿の看板だ。
このビルも好きだ。ネットワーク機器とかプレイステーションのような機能美を感じる。
焼肉ライクの最後の誘惑も何とかやり過ごしそろそろだ。
チェーン店の気軽さと雑さにはいつもお世話になっているが、今日は我慢だ。
着いた!珈琲西武西新宿店。乳と蜜が流れる約束の地。
店内に入ると黒髪ボブの横顔が美しい店員さんに案内されて着席、東京喰種のヒロインに雰囲気が似ている。
二、三ヶ月一緒に働けば、私などは確実に惚れるだろう。黒髪ボブの若い女性ならもはや誰でもいいのか、少し不安になる。東京喰種も喫茶店が舞台だったか。
難波里奈さんのインタビューを読む。
昔30歳くらいの頃バイトしていた神保町の名物喫茶店「さぼうる」の特集を読む。賄いのピザトースト、懐かしい。生いちごジュース、作る時に味見するのが楽しみなくらい美味かった。食べる時は、マスターにピザトースト頂きます、と一言言わないといけなかったことを思い出す。
古い雑誌だったので、亡くなってしまったマスターの顔を思い出すことができた。ルールには厳しいが、それ以外の全てに対して優しい方だった。
彼曰く、喫茶店は夢の集まる場所、か。
別のページを繰ると、森下の小野珈琲の写真が!
懐かしい、こちらは20代の社畜時代、近くに住んでいた。
名物のホットケーキを食べたかは忘れてしまった。
勘で選んだ雑誌の中に、知っているものがたくさんある。こういったちょっとした縁を増やしていきたいものだ。
美しい…
CoCo壱とか焼肉ライクに入らなくて本当によかった。
デミグラスソースが嬉しい。オムの中にはチーズが入っている。中身はもちろんケチャップライスだ。
なんと味が重層的で複雑な料理なのだ…
ただ如何せん私はバカ舌であるので、もう少し雑な料理のほうが合っているような気もする。そう、かめやの天玉うどんのような…
まあもちろん当然の如く美味い。
次はナポリタンかパフェか。また来たい。
さて、最後は、思い出横丁で今日の放浪を終えようと思う。
思い出横丁のかめやは閉まっていた。日曜は休みなので注意だ。
元上司との思い出は中途半端に蘇った。この人も父と同じく決して怒らない優しい人だった。優しい人の思い出はいつまでも消えない。
手の甲の傷はすでに塞がっていた。
私の赤血球はまだ仕事をしてくれるようだ。