尾見怜:五〇九号分室

小説・映画・音楽の感想

日本的婉曲表現の行方とヒロインと  植松伸夫:Eyes on me(ファイナルファンタジーⅧ)

 

FINAL FANTASY VIII Original Soundtrack

FINAL FANTASY VIII Original Soundtrack

 

 

FF8はゲームの文脈で語るとかなり厳しい。
ジャンクションとドローだし、レベル上げ意味ないし。システム的に斬新すぎて慣れるまで時間がかかるのだ。クソゲーという印象を持ってしまうのもしかたなし。
ただ、ゲームにおける演出という意味でいうと歴史を変えた。
生歌と生オーケストラをゲーム本編にしっかりと導入したのである。なぜ英語の歌詞なのかというと、正直何言っているかわからないから。単純に聞き流せるから。
あくまでBGMとして使われる。ちゃんと聞いてもほんといい曲なのだけれどね。

 

 

Shall I be the one for you
私がなってもいいかしら?
Who pinches you softly but sure
あなたをやさしくつねる人に
If frown is shown then
だって 痛みに顔をしかめることになれば
I will know that you are no dreamer
これは夢じゃないってわかるから

 

 

近年のJ-POPで、恋愛の歌詞は直接的な表現が目立つ。西野カナ的なマーケティングに基づいた共感を狙っていく作詞法だ。
共感を数値化できるSNSが実現した世界だといっていい。ぶっちゃけた話、自己主張が激しくて胃もたれする、というのが本音だ。
古今和歌集以来の感情の機微を表現する細やかな表現は死滅したのでしょうか?本気で気になります。

Eyes on meはその逆を行っている。
その歌詞が、好きだ、愛してる、永遠に幸せにする、みたいな粗製濫造の直球歌詞ではなく、とにかく婉曲的で大人な表現なのが素晴らしい。かわいらしい。
この曲のすごいところは伝統的な日本的な婉曲表現、それを英詞のラブソングでやった。これに尽きる。(愛の6度を使ったロマンチックな旋律とかアジアンテイストのイントロとかいろいろあるけど)
名詞と動詞が先立つ欧米の表現とは違う文化圏の人間が、英語で作詞すると、これほどまでに響くのか、ということ。
Shall I ~?はネイティブ的にはあんま使わないらしい。遠まわしすぎて。でも、当時中学生だった私はこの言い回しにこそしびれた。激烈な上品さを感じた。フェイウォンの声も相まって。
映画「Shall we ダンス?」でもラストで草刈民代がディズニーのキャスト張りに「Let's dance!」ってハイテンションで誘ったら台無しです。
ちょっと気取った感じで「シャルウィダンス?(踊っていただけますか?)」これがいいのよ!!!
役所広司がはにかみながら返答、「シャルウィダンス(もちろん)」これがいいのよ!!!幸福感半端ないシーンです。
英語圏の人からみたら訳の分からないやり取りだけども。ロストイントランスレーションの別バージョン。和製英語にちかい。

香港で活動しておりまあまあ英語の発音ができるフェイ・ウォンを抜擢したのが憎い。当時スコールに似た髪型だったGLAYにしなくてよかったよかった。
自己主張が美徳であるメリケンにはこの歌詞の良さはいまいちわからんでしょう。何が言いたいの?ってなるはず。できる限り想いを隠す少女漫画と丸出しのハーレクインロマンスの差。

歌詞の内容をざっくり説明してしまうと、戦地に行ってしまう兵士を、そいつが通っていたバーの歌姫が実は好きだったのよ、と想い歌う曲です。
本編のストーリーとリンクしていて、歌詞の主人公で歌姫であるジュリアはヒロインであるリノアの母ちゃんです。思い人の兵士であるラグナは主人公スコールの父ちゃん。
それぞれ違う人と結婚するのだけれど、その子供同士が恋に落ちるという世代間SF的恋愛。
つまりこの歌詞の悲恋は世代を超えてゲーム内で思いを遂げる。ええやんけ。
ただ、母ちゃんが持っていた謙譲の美徳をまったく受け継がなかった娘リノアは、性格の幼稚さから大半の日本人に死ぬほど嫌われたけど。17歳だからまあリアルなのか。
正直助けに行きたくないけど、スコールが正気失うくらい惚れてしまうので、大半のゲーマーがスコールと自分のギャップに苦しんだ。リノアを助けるモチベーションが沸かないというのはFF8あるある。宇宙を漂うリノアを放置してゲームオーバーになるのはビビったし笑った。リノアのモデルを初恋の人にしたという野村哲也のキモイ怨念を感じる。こういう作り手の意志がわかると面白い。
繰り返すが、絶対に母ちゃんのジュリアのほうが大人でいい女です。この記事はそれだけ言っておきたい。
そこらへんの良さはFF10でユウナが多少受け継ぐが、大人っぽい要素は消え去り、ひたすら健気な童貞狙いの萌えアニメキャラみたいなキャラメイク。
でもエンディングの演説は作り手の正直な本音が感じられて好きよ。
そしてFF10-2でキャラ崩壊。なにしてんねん。

何が言いたいかというと。感情を隠して控えめで遠回しな愛情表現をしてくる大和撫子はかわいい。ギャーギャーうるさいメスガキは宇宙に放流されて死にやがれ、ということ。

余談だが、私がタイのバンコクにあるしょぼいカフェでクソ甘いアイスコーヒーを飲んでいるとき、フェイ・ウォン中島みゆきの「ルージュ」のカバーした曲がながれてきた。
ベトナムで大ヒットしたという。
中島の曲もフェイウォンの声も、どこかアジア人に訴えるような独特の情緒があるのだな、としみじみおもった。

なんかおっさん臭い記事だな。

でも我慢して読んでいただけるかしら?